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かんなり地名考

『金成・神成・嘉成・加成』地名考

a:9584 t:2 y:4 1660・1275・1238・928・1063・1205
2010・8・23

最新更新日2017-05-13 (土) 11:41:29

『金成・神成・嘉成・加成』地名考 非売品

『金成・神成・嘉成・加成』地名考 電子版

漸く、『金成・神成・嘉成・加成』地名考として、纏めることが出来ました。情報等をご提供して下さった関係者の皆様に厚くお礼申し上げます。尚、私製本として製作しましたので非売品としましたが、電子版は自由にダウロードして結構です。(無料)

 古く、我々日本人の姓は地名と深く係わりを持っている。又、地名は先人が我々に残した生活の、歴史の、メッセージである。そのメッセージを我々がどう受け止め、後世にどう伝えるか、である。

 多くの事は出来ないが、責めて私の姓「金成」に係わる地名を全国的に調べた。
「金成」姓は、旧・宮城県栗原郡金成町に由来すると伝えられているが、同じ「金成」と書いて読み方が「かんなり」や「かなり」・「かねなり」又、読み方が同じで、同一視される「神成」など諸々あり、それらは、何処の土地に存在するのか、地名は何に由来するのかを、県別、読み別、由来別に調査して纏めたものです。

 纏めるに当たって、調査にご協力頂いた地元の皆様に厚くお礼申し上げます。
 又、全国的調査の中で、諸々の文献を調べたが意外と誤記、誤説が多いのに驚いたものです。最初に県別・読み別・由来分布を、誤記、誤説等を指摘し、次に由来について考察、全体を県別に分類した。 
  ○ 県別・由来別・分布『金成・神成の地名の読み、県別・由来別に分布』
  ○ 誤記・誤説等の検証
  ○ 由来の考察
  ○ 県別分類
  ○ 参考文献等・原文抜粋
※ 『金成・神成』地名・都道府県別分布図・こちらから
   金成・神成分布を比較して見れます。

≪金成・神成≫地名の由来    

  
 金成・神成の地名は一般に、神鳴に由来すると云われているが果してそうのだろうか?
 一部の地域に伝承されている、産金伝承ともかけ離れ、各種辞書類でも金成=神成=神鳴りと、又一説ではアイヌ語に由来するとも云われる。

 従来一般に「金成」・「神成」の地名由来が「金成=「神成」と云われているが、基本的に個々別なものであると云う仮説の基に検証する。

 現在、金成表記の地名は全国に17ヶ所。神成表記の地名は18ヶ所。この地名の由来を考察するのに、金成表記の地名は産金・砂鉄など金属に関連する地名と、神成表記の地名は神に由来する地名を基本的に分けて考える。

 即ち、基本的に「金成」と「神成」表記の地名は、由来が異なる事を前提にする場合、且つ、由来と地名が混同する場合、更に、合成地名の4タイプが存在する事を前提に検討する。

1・≪金成地名の由来≫

 <金成地名の発祥は出雲か>

 金成表記の地名の由来は、砂鉄に由来しその発祥は、出雲。出雲の金属種族の北上にともない、砂金の採れた奥羽に多く見られる。
 それを端的に表しているのは、出雲南部の方言「カンナ」と金成山(かなりやま)古墳です。

『藤原与一著書の日本語方辞書89Pに、「カンナースル」、意味は、砂鉄をとるしごとをする。
 古老の語る、島根県出雲南部の方言で語る、
コノ ヘンデ カンナーシタ オボエワ ナイ ガネ。(このへんで、砂鉄をとるしごとをしたおぼえ<記憶>はないがね。)を収録している。
 砂鉄の採取場がカンナといわれてもきた。』

 更に、タタラ製鉄の砂鉄をえる工程で、『山を切り崩して土砂を溝に流すと、比重の重い砂鉄は底に残る。これを繰り返し砂鉄だけを採取する。』この工程を「鉄穴流し」と文字で書くが、その音は「カンナ ナガシ」と云う。即ち、「鉄穴」を「カンナ」と云っていた。

 次に、島根県遺跡データベースシステムに、
 島根県八束郡東出雲町下意東金成山に金成(かなり)山古墳がある。金成山と云うが標高20mの中海の見える小高い丘で、この周辺は多くの古墳がある。

 古墳時代、出雲は製鉄技術を朝鮮半島から移入し、原料に恵まれ発展した事と考え併せるならば、この古墳埋葬者は、この地域の渡来系金属種族の長で、中海を通して半島の見える丘に埋葬したものと類推できる。この埋葬地を金成(かなり)山と称したのであろう。

 以上の事から古墳時代に付けられた古い地名で、砂鉄即ち、職業に関連由来する事が分かり、伝えられている『金成』地名の始まりと云える。
 カンナ⇒カナリと転訛したものに「金成」と云う文字をあてたと思われます。

 それが、更に、カナリ⇒カンナリ、カナリ⇒カネナリと転訛した。

 更に、渡来系金属種族は原料の砂鉄を求めて移動し、現・山口市大内御掘の金成山(カナリ・ヤマ)・旧上金成・下金成と地名があり、標高は175mの金成山、附近で砂鉄を発見したか、それに関連する地名を付けたものと思う。

「鉄穴(カンナ)流し」に必要な水は、山麓を仁保川が流れている。これは金成の地が、砂鉄の採取場で、砂鉄の採取に欠かせない川がある。砂鉄の選別は「鉄穴(かんな)流し」と云う方法で比重の重い砂鉄だけが残る。これを繰り返し行い砂鉄だけを残す採取方法です。

 同じ地域に、819年に周防鋳銭司(ちゅうせんし)が置かれ、貨幣鋳造が950年の廃止までの130年余り長きにわたり行われたのは、周防鋳銭司だけです。この事を考えた場合、現在と違い、物の移動手段に乏しかった時代ですから、全て現地で賄わなければ長期わたり行う事が出来なかったはずです。即ち、この地域に鋳造に必要な、技術者、燃料に必要な松、原料の砂鉄などが揃っていたから長 期間、行う事が出来た。このことから云っても、金成の地名は砂鉄に由来すると云っても過言でない。

 その後、渡来系金属種族の人々は奥羽の砂金の発見などにより北上、原料採取(砂鉄・砂金)の出来る場所に金成と云う地名をつけた。是が「金成」地名の由来です。

 これにより、今まで各地の「金成」地名の由来が不明で合ったものが、地形などの条件を総合すれば合理的な説明が可能になる。個々の地名については、各項目で説明します。

 出典文献抜粋
※ 日本語方言辞書 中巻 89頁 藤原与一 著書  発行 ㈱東京堂出版 平成8年
  カンナース〔Ű〕ル〔Ű〕〔下中型〕 動下一 「砂鉄をとるしごとをする。」
  ○ 島根県出雲南部
   コノ ヘンデ カンナーシ〔Ϊ〕タ オボエワ ナイ ガネ
  『このへん、砂鉄をとるしごとをしたおぼえ<記憶>はないがね。』(説明・老男)
   砂鉄の採集場が、カンナと言われてもきた。

2・≪神成地名の由来≫

<神成地名の発祥は富山県旧福光町か>

 富山県旧福光町史・上巻・475頁、「神成村」の項に、
『村名の由来は、古くからの伝承として、古事記に載る、古志国と出雲国との抗争の後、次第に出雲族の勢力がこの地方にものび、大国主命が今の神成の地に進駐されたところから神御成村と唱え、略して神成となったとある。

 前記の文書に「家数七間(軒)神成」と書かれている。慶長年間(1596~)古地図に村名が見られる。中世の村建てであろう。』・・・・・原文

「神成」の読み方は、「カミナリ」と云い、現在は通称「カンナリ」と呼んでいる。
 これを見ると、神成の地名は、古く神代の時代に遡り、その謂れを代々伝えてきたものであろうと云えられる。

 次に、群馬県富岡市神成(カンナリ)の地名由来について、
『群馬県甘楽郡史(旧・群馬県北甘楽郡史)』 本多龜三 著書  発行 昭和三年
 第拾六章 吉田村  第壹節 村の起源及沿革 (812頁)の項に

『大桁山(おほげた・・・アイヌ語に・・・(Ohoge・tap)オホグタップ・・・・即曲りたる圓頂丘)は、本村の西北部に聳え、古火山の形跡ありといふ。而して、丹生村より吉田村大字南蛇井にかけて土窟の迹と思しきもの三四見出され、且、此村の平坦部より石器の出づるを見れば、本村の起源は、遠く先史若しくは原史時代より開けしものと推定せらる。降りて神代に至り、武甕槌命・經津主命二神、諏訪の神を征したまふ時、此の邊を通過せしに縁みて或は神沼(カミヌマ・蚊沼)といひ、或は神成(カミナリ)といふ地名起れりと里人の口碑に遺れること、容易く打消すべきにあらず。此傳説、またこのあたりの古くより開けしこと語るものなり。・・・・・・』
 現在、神成の地名の読みはカンナリと云う。

 第三節 神社・佛寺等 (817頁)
 宇蓺神社(祭神) 稻倉魂神 村社の項に、
『大字神成村にあり。本社が延喜式内に在りや否やにつきて、著者の知れる所にては、群書類従本り延喜式神名帳(927年)には、宇伎と見えたれども、此項九條家より出でたりといふ延喜式には此の社なくして宇伎明神を載せられたり。而して又、所謂上州總社の神名帳といふものにも、此の社名なくして、同じく宇伎神社を載せられたるわ見れば、宇と宗との誤よりして此の社を式内とせしには非るか。況んや此社の今の位置は元赤城社ありし處にして森々たる老樹は是れ赤城社の古きを語るものにして此社の在りし地は神成村の西部にて位置も形勝の地にあらぜらりしこと確かなるに於いてをや。とにかく此の社を式内のものとしてここにはその事を記しておかむ。
 本社の創建は詳ならずといへども延喜式上野十二社の一にして式に、甘楽郡二座、大一座・小一座とあり。大は貫前神社なることいふまでもなし。小は即ちこの宇蓺社にして、上野国神名帳に従一位宇蓺大明神と載せられ、又神名帳考證には宇伎明神とあり。山吹日記(日下部高秀の紀行文にして此人寶暦元年(1751年)八月八日歿す。由つてその時代を知るべし)に神成村の内中澤といふ處の北方なる小山の麓に、うけの神小社にてあり。傍に赤城大神をも移し祀れりとあり。傳説によれば、人皇三十九代天武帝(673~686年)の白鳳年中の創建なりといふ。然るに天明年中、火災に罹り社殿寶物一切烏有に○したるを、享保元年四月復舊顴を失はざるやう再建し以つて現時に及べりといふ。
 毎年一月七日流鏑馬祭を行ひ、十一月村祭を行ふ。傳來の神寶物としては、小なる舟の型ありて、本社内に奉置す。其仙神鏡一面あり。和鏡にして青銅製徑八寸、天下一藤原政重の作なり。』・・・・・・・  
・・・・以上・原文

  神成の地名は、福光町・富岡市の場合も、その年代は神代の時代に神の来訪に由来していると、伝承は伝えている。即ち、「神」が「御成り」になつた。統治者・征服者が「神」とし到来した事が、この地名の由来と云える。
 『神御成・カミオナリ』⇒『神成・カミナリ』⇒『神成・カンナリ』と転訛した。

 又、『神成』の地名は、全国に18ヶ所在り、時と共に、その由来が忘れ去られたもの、音の共通による変説したもの、混同したものなどが見られるが、『神御成り』に由来するものと推定されるものの多くは、愛知県・三重県・高知県などの地名である。各地名については各項目で検討する。

3・≪『神成・金成』が何故『雷鳴』由来となったか≫

 何故「金成・神成」地名が「雷・かみなり」由来と云われるようになったかを検証する。
『金成』・『神成』地名の本来の由来は古い時代に遡る為、人々の記憶からうすれ、同音の『カミナリ・神成』と『カミナリ・雷』が同意語として認識されて来た。
 即ち、『カミ・神』と『カミ・雷』、『カミナリ・神成』と『カミナリ・雷鳴
 更に、『カミナリ・神成』⇒『カンナリ・神成
    『カミナリ・雷鳴』⇒『カンナリ・雷鳴
    『カナリ・金成』⇒『カンナリ・金成
 と音便変化したことが、『カンナリ・神成』=『カンナリ・金成』=『カンナリ・雷鳴』となった。
 これは、例えば、『ハシ・箸』=『ハシ・橋』=『ハシ・端』と云うのと同じ事です。
 前述した『神成』・『金成』の地名由来をえた場合、『神成』=『金成』とはならない。それは、地名分布からも云える。又、『神成』が『雷鳴』由来と云われる要因を次の様な方言から見る事が出来る。

≪各辞書及び方言例をあげる≫

※ 語源大辞典 71頁  掘 井令以知 著書  発行 東京堂出版 昭和63年
  カミナリ【雷】 大きな音響の放電現象。もと、「神・鳴り」の構成。かって宮廷日
          記にも「神なる」のように記されている。
          鳴るもの自体の名でもないのに、早くから雷の標準語となった。東
          北地方で雷をカンダチというのは、「神立ち」つまり、神の出現
          象ということである。 
          京都府丹波地方で雷をハタガメという。「はたはた神」をつづめた
          形、ハタガミから、とどろき、はたたく雷の形容。
          香川県などは、擬音語でドンドロサンという。⇒アマル

※ 日本方言大辞典 上 巻 662頁 編集 尚学図書 発行 ㈱小学館 1989年
  かんなり ⇒かねなり(金成)/(かみなり(神鳴))かんなりが篏る
  かんなり もしない  できもしない。茨城県猿島郡188  

※ 広辞苑より・第六版・・「音便・雷・神鳴り・鳴神・かんなり」項を抜粋。
  ○ おん-びん    【音便】国語学の用語 発音上の便宜から、もとの音とは違っ
            た音に変る現象
  ○ かみ-なり-のつぼ【雷鳴壺】〔襲芳舎・しゅうほうしゃ〕の異称・かんなりのつ
            ぼ
  ○ しゅうほう-しゃ【襲芳社】平安京内裏の五舎の一つ。内裏の北西隅で、凝華舎の
            北にあった後宮の局で、また右大将の止宿所ともなった。庭に
            霹靂(かみとげ)の木があった「神鳴(かみなりの)壺(つぼ)」
            ともいう。
  ○ かみ-なり   【雷】〔神鳴の意〕①雲と雲との間、雲と地表との間に生じる
            放電現象。
  ○ &deco(red){かん-なり}:   【雷鳴】〔カミナリの音便〕①雷②かんなりのつぼ〔雷〕の略。
            広辞苑によれば、著者が云うように、雷・カミナリ⇒雷鳴・
            カンナリに変化したのが、国語学では音便変化と云う。

≪雷の方言≫
※ 新潟県
  中越地区の一部では、『かんなり』・『かんなりさま』と云う
  下越地区の一部では、類似語で『かんなさま』とも云う。

※ 茨城県
  東茨城地区の一部では、『カンナリサマ』と云う。

※ 富山県
  ほぼ全域で、『カンナリ』と同意語で『カンナル』と云う。一 部で類似語として
 『カンナリシンド-』・『カンナリサメ・雷 雨』とも云う。

※ 長野県
  東信では、『かんなり』、北佐は『かんなりさま』と云う。
       
※ 新潟県方言辞典 中越編84頁 渡辺富美雄 著書 発行㈱野島出版 2004年
  かんなり ⓪ (名) 夕立がするとき、黒い雲の中で光って音がする放電現象。(小千
       谷市木津・池ヶ原)
       同「かんなりさま」⓪(栃尾市栃掘・北荷頃、川口町川岸町、見附市指出
       町、小千谷市藤田沢、中里村松川)、
      「ようだち」 ⓪(六日町蛭窪・畔地・深沢・宮・山谷)
      「ゆうだっつぁま」 ⓪(広神村田尻、小出町本町)
  かんなり-さま ⓪ (名)  夕立がするとき、黒い雲の中で光って音がする放電現
       象。
       類「からかんなり」③、「ゆきおろし」③、「たてびかり」⓪、「よこび
       かり」⓪(見附市指出町・栃尾市栃掘・北荷頃、川口町川岸町、小千谷市
       藤田沢、中里村松川)「かんなり」の項参照。
       註 ⓪、③はアクセント

※ 新潟県方言辞典 下越編55頁 渡辺富美雄 著書 発行 ㈱野島出版 2004年
  かんな-さま ⓪(名)雲と地上との間の放電で、ピカピカ光る電光と、ゴロゴロ鳴る
        雷を合わせていう。
        ふるくわ「いかずち」で「かみなり」⇒「かみなりさま」というよう
        になった。(新潟市新通)

※ 茨城方言民俗語辞典 265頁 赤城毅彦 著書 発行 ㈱東京堂出版 1991年
  カンナリサマ  雷(東、御、桂、小)。(関方3)
  カンナリモシネ― <句>できない。(猿)。〔語〕
   註 略語表   <句>・・連語、東・・東茨木郡、御・東御・・御前山村、桂・
           東桂・・桂村小・東小・・小川町

※ 日本のまんなか 富山弁 85頁 簑島良二 著書 発行北日本新聞社 2001年
  カンナリ 【雷】かみなり。神鳴り「朝・黒・大・婦・氷」
  カンナル 同「矢」
  カンナリシンドー(・・・振動) 雷鳴。激しく喧しいこと「朝・宇・善・黒・魚」
  カンナリサメ  雷雨 「光」
  カンナリドーゾク 雷雨が激しくむ降ること「婦」
  カンナリムシ 【虫】①ヤゴ(水蠆) ②カマキリ(蟷螂)「朝」
  註 方言集および地域略号
  朝・・朝日町(朝日町方言五千語・1984年) 宇・・宇奈月町(宇奈月の方言・1985年)
  善・・入善町(入善ことば1千語・1975年) 黒・・黒部町(随想方言雑語・1987年)
  大・・大山町(祖たちから伝わる大山町のことば・1989年)
  婦・・婦中町(おらちゃの標準語・1998年) 氷・・氷見市(氷見地方の方言会話集・1995年)
  魚・・魚津市(風土に生きる方言・1988年) 光・・福光町(方言・ことわざ集・1999年)
   
※ 長野県方言辞典165頁 編集代表 馬瀬良雄 発行信濃毎日新聞社 2010年
  かんなり   雷 「東信」
  かんなりさま 雷 「北佐」
  註 東信・・(東信濃方言集・1976年)  北佐・・(佐久市史 民俗編下)

※ 鹿児島県方言辞典 285・286頁 橋口満著書 出版 ㈱桜楓社 昭和62年
  カンナイ 〔名〕⓪雷。かみなり。カミナリ(神鳴)の転訛。
        (薩)児。(隅)曾(隅)・熊(上-宮之浦 永田 一湊向江)。
       註 上記は地域を表示。⓪はアクセント、詳細は凡例参照。
  カンナイサマ 〔名〕⓪雷。カミナリサマ(神鳴様)の転訛。
       (薩・隅・諸)全部
  カンナイドン 〔名〕⓪雷。カミナリドン(神鳴殿)の転訛。 ドノは接尾語。
       (薩・隅・諸)全部

 広辞苑・方言辞典の例からもわかる様に、平安時代に『カミナリ』が『カンナリ』と音便変化しそれが、民衆に敬意を持って『サマ』を付けて呼ぶようになり、いつの間にか、『神鳴・かんなり』=『金成・神成・かんなり』と広く認識されるようになったと云える。この事が、『金成』・『神成』地名由来の誤認を招く結果となったと類推できる。

《金成・神成地名・県別分布》

A・「金成」地名の県別分布 (計 18ヶ所)

画像の説明

2011・8・22 作成


その分布は、岩手県 7、宮城県 5(類似地名を含む)、福島県 1、茨城県 1、
滋賀県 1、島根県 2、山口県 1、  計18ヶ所

※「金成」の読みの種類別・分布は、

1・「かんなり」の読みは、      岩手県 7  宮城県 5、
   計 12

2・「かなり 」の読みは、      福島県 1  島根県 1
                   山口県 1   
   計 3

3・「かねなり」の読みは、      茨城県 1  島根県 1
   計 2
4・「きんせい」の読みは、      滋賀県 1
   計 1
  ※ 地域的特性がはっきり表れている。

1)・「金成・かんなり」の由来別・分布 (現在、云われている由来)
    産金伝承に由来よるもの    岩手県 3  宮城県 2
    由 来 不 詳        岩手県 3  宮城県 2
    人名に由来るもの       岩手県 1
    雷に由来するもの       宮城県 1 

2)・「金成・かなり」 の由来別・分布
    地形に由来するもの      福島県 1  山口県 1
    由 来 不 詳        島根県 1

3)・「金成・かねなり」の由来別・分布
    由 来 不 詳        茨城県 1
    合成名            島根県 1
4)・「金成・きんせい」        滋賀県 1
    由来不詳  
5)・類似地名・「黄金成・こがねなり」の由来別・分布
    産金伝承による        宮城県 1

B・「神成」地名の県別分布  (計 18ヶ所)

神成の分布図

   その分布は、岩手県 2、秋田県 4、福島県 3、群馬県 1、富山県 1、
         新潟県 1、静岡県 1、愛知県 2、三重県 1、徳島県 1
         高知県 1(類似地名)計18ヶ所

※「神成」の読みの種類別・分布

1・「かんなり」の読みは   岩手県 2、秋田県 4、福島県 1、群馬県 1
   計 11        愛知県 1、静岡県 1、新潟県 1

2・「かみなり」の読みは、     徳島県 1、富山県 1、福島県 2、愛知県 1
   計 5

3・「しんせい」の読みは、     三重県 1
   計 1

4・「いしがみなる」の読みは    高知県 1
   計 1

1)・「神成・かんなり」の由来別・分布
   神に由来するもの       群馬県 1
   雷に由来するもの       秋田県 1、福島県 1
   由 来 不 詳        岩手県 2、秋田県 2、福島県 2、静岡県 1

2)・「神成・かみなり」の由来別・分布
    神に由来するもの         富山県 1 
    由 来 不 詳          福島県 2、徳島県 1、愛知県 1

3)・「神成・しんせい」の由来別・分布
    由 来 不 詳         三重県 1 

4)・類似地名・「石神成・いしがみなる」の由来別・分布
    由 来 不 詳         高知県 1

C・「嘉成」地名の県別分布

    その分布は           福島県 1

※「嘉成」の読みの種類別・分布

    「かんなり」の読みは      福島県 1
1・「かんなり」の由来別・分布
    人名に由来するもの       福島県 1

《 誤記・異説の検証 》

(1)・誤記の部

○ 新日本地名索引 漢字編 金井弘夫 丸善㈱

「新日本地名索引・地名レッドデータブック」等は著者の植物分布図を作成する為に、旧陸軍参謀本部陸地測量部発行の5万分の1地形図、及び、地名採録に「明治・大正日本五万分の一地図集成」(古地図研究会1982年)を基に、コンピューター等の機械的処理をしている為、多少の錯誤はあるが、38万余件と云う地名索引は貴重である。単純ミスであろうが、念の為指摘する。

①  神成の項の誤記・誤りは、

注、資料・見出・ナンバーは便宜上付けたものである。
地名漢字   地 名   2.5万 市町村名 県 名   東経E 北緯N  頁 
5) 神 成  かんなり  城 端  福光町 富 山  136°54′ 36°33′ 1498頁
7) 神成 小 こかんなり 大神成  太田町 秋 田  140°37′ 39°31′  〃
8) 神成 石 いしがみなる長 者  葉山町 高 知  133°11′ 33°26′  〃 
  
5)の福光町・「神成」の地名の読み方は、正式名称は「かみなり」で「かんなり」は俗
 称である。
7)の太田町・「小神成」の地名の読み方は「こがなり」で「こかんなり」ではない。ま
 た、2.5万の項「大神成」は「小神成」の間違いである。
8)の葉山町・「石神成」の地名の読み方は「いしがみなろ」で「いしがみなる」ではな
 い。又、分類の項目は、「神成」の項目でなく「石神」に分類されるべきである。

② 金成の項の誤記、誤りは、

注、資料・見出・ナンバーは便宜上付けたものである
地名漢字  地名読み  2.5万  市町村名   県 名 東経E  北緯N   頁
1)  金成  かなり    口 内  北上市  岩 手 141°10′ 39°17′ 2257頁
8)  金成黄 こがねなり  鳴 子  鳴子町  宮 城 140°40′ 38°43′  〃
12) 金成山 かんなりやま 野手崎  東和町  岩 手 141°31′ 39°18′  〃
13) 金成山 かんなりやま 野手崎  江刺市  岩 手 141°31′ 39°18′  〃

1)の北上市・「金成」の地名の読み方は「かんなり」で「かなり」ではない。
8)の鳴子町・「黄金成」の地名の読み方は「こがなり」で「こがねなり」ではない。
 又、分類項目は「金成」の項目でなく「黄金」に分類されるべきだある。
12)・13)に「野手崎」とあるが、この地名は江刺市の地名で、東和町に存在しない。

○ 現代日本地名よみかた大事典4・5 1985年度版 発売元 ㈱紀伊国屋書店

「現代日本地名よみかた大事典」は所在の確認出来ない誤認と思われる下記の地名が混入
 している。
8) 神 成 かんなり (福島県双葉郡浪江町大字井手字神成:フタバグン ナミエマチ オオアザイデ)
1) 神 成 かみなり (福島県相馬郡飯館村二枚橋字神成:ソウマグン イイダテムラ ニマイバシ)
10) 神成松 かんなりまつ (愛知県渥美郡渥美町大字江比間字神成松:アツミグン アツミチョウ オオアザエヒマ)  

1)・10)の地名は地図、文献等で確認出来なかった。(忘れられた地名かも)
8)の住所に「神成」と云う地名は現在、存在しない。
 考えられる事は、井手地区の入北沢国有林の一部に地元の人が「神鳴・かんなり」と呼称する地名あり、この地名と混同したものと推察される。
 

(2)・異説の部 (地名由来)

Ⅰ・ 地名の語源 鏡味完二・鏡味明克・共著

   カンナリ カンダチ。神鳴り>カンナリ。〔神成・金成(神 奈良・神有・鳴神)〕

Ⅱ・ 日本山名事典 編集委員・徳久球雄・石井光造・竹内正・共著

   かんなりやま(さん) 金成山 岩手県江刺市と和賀郡東和町の境。
   ・・・「かんなり」は雷のこと。・・・・

Ⅲ・ 日本山岳ルーツ大辞典 監修・池田則夫 編者・村石利夫・共著

   金成山  江刺市―東和町
   カンナリ(金成・神成・神鳴り)は雷(カミナリ)のこと。雷が多い山。雷地
   雨乞い山に雷神を祀り金成山、雷神山とした

Ⅳ・ 大崎地名考  鈴木市郎 著書

B 製鉄・金地名 4 雷・天神   23頁
 「・・・・・なお特筆しておきたい地名は中新田町城生(ジョウ)の金成(カンナリ)
 である。これはカミナリが音便でカンナリとなつたものであって、金がとれるという意
 味ではない。栗原郡の金成も同じ地名である。・・・・・」
    
B 製鉄・金地名 8 金洗沢(かねあらいざわ)    30頁
  「・・・・はっきりしてい例は、黄金(小金)のつく地名はキンであり、金洗は砂金流
 しで金成はカミナリで金属精錬部族の信仰の対象。・・・・・・」

Ⅴ・ 岩手の地名百科  芳門申麓 著書

   神成(かみなり)の項・・・・・・・136頁
   神成〔久慈大川目〕(近接地名)田子内・大久保
   雷鳴」で、雷神信仰。落雷木のある土地。
   神成(かんなり)の項・・・・・150頁)
   神成(かんなり)(遠野綾織・宮守上宮守・岩泉岩泉・久慈大川目
   金成(かんなり)(北上口内・衣川上衣川・住田世田米・陸前高田横田・岩泉穴
   沢)
   近接地名・雷神山
   神鳴(かみなり)の意で、雷神、水神、龍神信仰や落雷木のある土地。
   上記の赤字で示したカ所は、金成=神鳴り・カミナリ又は、誤認など重大な誤りを
   指摘した。これらを個々に検証する。

≪検 証・1≫

○ Ⅲの「日本山岳ルーツ大辞典・監修・池田則夫 編者・村石利夫・共著

 カンナリ カンダチ。神鳴り>カンナリ。〔神成・金成(神奈良・神有・鳴神)〕は、「雷・神鳴り」の音便変化・方言を云っているもので、地名の由来とは全く係わりのない事です。
  著者が云う、『カンナリ・カンダチ・神鳴り』は、
 『雷・カミナリ』⇒音便変化・『カンナリ』
 『雷・神鳴り・カミナリ・カンナリ』の方言が⇒『カンナリ・カンナリサマ・カンダチ』などでの事で、音が同じな為、
 『雷』=『神鳴り』=『神成』=『金成』としているが、
『雷』場合は音で『カミナリ・カンナリ・カンダチ』を文字表記すると『雷・神鳴り・神成り・神立』と成ります。

 『神成』の場合は、『神御成・カミオナリ』⇒『神成・カミナリ』⇒『神成・カンナリ』と成ります。

 『金成』の場合、『金成・カナリ』⇒『金成・カンナリ』と成り、それぞれが別個のものです。
 以上の事からも著者の云う、『金成・神成』地名由来を『雷』とするのは根本的に誤りである。

○ Ⅱ・ 日本山名事典 編集委員・徳久球雄・石井光造・竹内正・共著  

○ Ⅲ・「日本山岳ルーツ大辞典・監修・池田則夫 編者・村石利夫・共著

 日本山名事典の金成山の項及び、日本山岳ルーツ大辞典「金成山」の項を併せて検証する。
 岩手県・金成山名の由来を「雷」・「雷が多い山。落雷地。乞い山に雷神を祀り金成山・雷神山とした。」と記述されているが、
 現地に確認したところ、全く、落雷・雨乞い伝承はなく、又、雷神を祀った祠は金成山に存在しない。
 更に、東和町史の記述に「・・・・南部藩の産金地帯の一角に位置する東和地区の小山田、平山、田瀬は和賀稗貫両郡の北上東部と上閉伊小友から伊達領気仙郡に繋がる地帯として口碑伝説に伝承されているが之を証する古文書に乏しい。然し今に残る地名―黄金山、金成山、野金山、金山沢等の名称や、それらの付近に見られる敷跡、山の中腹に残る広大な屋敷跡、更には石臼が旧家の庭石などとして現存するを見れば遺跡、遺物にその昔の賑盛を窺わしめる・・・」とあり、産金由来の一端を示す。

 著者らの云う「雷」・「カンナリ(金成・神成・神鳴り)は雷(カミナリ)のこと。雷が多い山。落雷地。雨乞い山に雷神を祀り金成山、雷神山とした。」と述べる論拠は見当たらない。
 これも、前述と同じ様な誤認をしている。
 尚。雷神山について調査検討していないので判断はしない。

○ Ⅳ・大崎地名考・鈴木市郎・著書の「金成」の記述に付いて検討する。

B 製鉄・金地名 4 雷・天神・・・・・23~24頁

 「田尻町沼部に雷(イカズチ)という地名があり、小野田町長清水(チョウシミズ)に
 は雷(カミナリ)という地名がある。鹿島台山谷のように雷神の所在が安永風土記に出
 ている例もあり、さらに仙南館腰の雷神山古墳のように古墳時代にさかのぼる例もあ
 り、起源はきわめて古い。

  明治期には、イカヅチが色麻町高城、古川市柏崎、同保柳、高清水町にあり、カミナ
 リが岩井山町上一栗、小野田町西小野田、同じく原、東小野田、古川市上中目、耳取に
 あった。しかし、現在は消えているようで、雷様はどうも敬遠されるらしい。しかしな
 んとか大切に保存してほしいものである。

  実はイカズチもカミナリも同じ起源の地名で、大崎地方のみならず県下にも広く分布
 しているが、一体これはどういう由来をもつ地名であろうか。

  雷は古くから金属精錬に従事した人々の信仰の対象とされている。県内では砂鉄精錬
 由来の地名が多いようである。その場合、近く金・鍛冶・黒・台・太平・天神などの地
 名がともなうことが多い。

  なお特筆しておきたい地名は中新田町城生(ジョウ)の金成(カンナリ)である。こ
 れはカミナリが音便でカンナリとなつたものであって、金がとれるという意味ではな
 い。栗原郡の金成も同じ地名である。また、鳴神(ナルカミ)堂とか雷神という地名が
 仙南の岩沼にもあるが、これらも同じである。

  一方、雷と同類の地名に天神がある。天神は菅原道真を祀る神社としてよく知られる
 が、天神ということばは漢語でカミナリを意味しているそれが天神といえば道真という
 ようになったのは、左遷されて死没した道真の怨霊が都で大暴れし、落雷や官人の夭折
 が相次ぎ大いに畏怖された結果、支配者は道真の鎮魂のため彼を北野天神に祀り上げた
 といういきさつによる。

  したがって天神も雷と同様金属精錬や鍛冶氏族の信仰の対象となる。天神の祠はいた
 るところにあるが、地名となつている例は、当地方では、岩出山町下山里・池月・色麻
 町黒沢・大、中新田町下多田川、古川市荒田目・福沼・耳取・小山田・稲葉、宮崎町小
 泉・同柳沢、鳴子町名生定等、南郷町大柳には天神原がある。」・・・原文

※  問題点を洗い出す。

1)城生金成(かんなり)は、カミナリ(神鳴り・雷)の音便変化に由来する。
2)栗原郡金成は産金に由来しない。
3)雷神を祀るのは、金属精錬や鍛冶氏族の信仰である。
  以上、三点に要約される。

1)音便について。

  突然、、一般の読者に音便変化によると云われても「音便」て?
  と思われるでしょう。それで、広辞苑を見ると、国語学の専門用語とあります。
※ 広辞苑より・第六版・・「音便・雷・神鳴り・鳴神・かんなり」項を抜粋。

○ おん-びん    【音便】国語学の用語 発音上の便宜から、もとの音とは違った
          音に変る現象

○ かみ-なり-のつぼ【雷鳴壺】〔襲芳舎・しゅうほうしゃ〕の異称・かんなりのつぼ

○ しゅうほう-しゃ【襲芳社】平安京内裏の五舎の一つ。内裏の北西隅で、凝華舎の北
          にあった後宮の局で、また右大将の止宿所ともなった。庭に霹靂(か
          みとげ)の木があった「神鳴(かみなりの)壺(つぼ)」ともいう。

○ かみ-なり   【雷】〔神鳴の意〕①雲と雲との間、雲と地表との間に生じる放電現
          象。

○ かん-なり   【雷鳴】〔カミナリの音便〕①雷②かんなりのつぼ〔雷〕の略。

  広辞苑によれば、著者が云うように、
  雷・カミナリ⇒雷鳴・カンナリに変化したのが、国語学では音便変化と云う。

  この音便変化が何故、雷鳴・カンナリ=カンナリ・金成となるのか?
  著者の観念的な便法にしか過ぎず、
 「橋・ハシ≠ハシ・箸」が「橋・ハシ=ハシ・箸」と云うようなものである。

  これらの事から、「金成」の地名由来は音便に由来すると云う説は誤りと云える。
    

2)栗原郡金成について。

  始めに栗原郡金成町の地名由来について、「大日本地名辞書、金成町史、日本歴史地
 名大系 4 宮城県の地名」などの由来に関する項目を抜粋、記載する。

※ 大日本地名辞書 奥州 第七巻 吉田東伍著 金成の項・・・・500頁
  「安永書上によれば、畠村の炭焼藤太碑は、正徳五年、仙台大年寺僧鳳山の撰文に
 て、此の地古へ産金せる旨を録す。栗原郡の附説、高倉、高鞍を合考すべし。即、台記
 に見るの産地か」

※ 大日本地名辞書 奥州 第七巻 吉田東伍著 高鞍の項・・・・497頁
  「・・・郡内三迫金成に、黄金の伝説あり、高鞍の黄金に合考せらる。・・」伝々

※ 金成町史・・・・「安永風土記書出」による。
 「金成は往古吾勝郷三迫金田の里と申し、栗原郡金田荘の出郷にこれあり候由申し伝
 い候。隣村畑村に住居仕候炭焼藤太黄金を掘出し、京都へ献じ候に付き村名を下し置か
 れ、久安年中(1145-51年)金生村と罷り成り候由。中古は神成村と文字相認め候処其後
 金成村と認め来り申候。・・・・・」

※ 角川日本地名大辞典 4 宮城県 金成の項より    
 「・・・・・久安年間に炭焼藤太が黄金を採掘して京都に献上したことから村名を賜
 り以後、金成村と称したと伝える・・・・・・」

※ 日本歴史地名大系 4 宮城県の地名 金成村の項より
 「・・・・(安永風土記)に古くは金田庄のうちの金田の里という 郷村名であったとあ
 り、当村北の畑村に住した炭焼藤太が黄金を掘出し京都に献じたところ、久安年中金生
 村という村名を与えられた。のち神成村、さらに金成村に変わったという。・・・」

  この様に、栗原郡金成邑の地名は産金伝承に由来することは、 公知の事実である。
 この事実を著者は地名研究者としてどの様に考えるのだろうか?
  著者の云う様に、城生「金成」と栗原郡「金成」とが同じ語源に由来すると云うな
 ら、栗原郡「金成邑」が産金伝承に由来する事実から逆説に云うと、城生「金成」も産
 金伝承に由来する事になる。

3)金属精錬部族の信仰に「カミナリ」信仰があるのだろうか?

  金属精錬部族とは、何を指すのだろうか?
  古くは、物部氏を指していると思う。物部氏に関して云うなら、「・・・物部氏の治
 る地方はすべての金属工人の進出のあったことが想起される。・・」云々と、・・・・
 福島県神社庁相馬支部・管内神社誌 154頁より

  又、物部氏の奉斎する神霊は神剣の布都御魂(ふつのみたま)で常陸・奥州に進出する
 頃は、鹿島・香取の二神も奉斎していた。
  鹿島・香取の二神とは、武甕槌命(たけみかづちのみこと)・經津主命(ふつぬしのみこ
 と)で、特に武甕槌命(たけみかづちのみこと)は「古事記」では健御雷之男神(たけみか
 ずちのおかみ)・健御雷神(たけみかづちのかみ)、「日本書紀」では、武甕槌・武甕雷男
 神などと表記される。単に健雷神と書かれ、別名・健布都神(たけふつのかみ)又、鹿島
 神宮(茨城県鹿島市)に祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれてい
 る。

  武甕槌命(たけみかづちのみこと)の「武・たけ」は武勇を表し、甕槌・みかづち」は
 御雷(みかずち)の意で「神鳴(かみな)り」に比せられる猛々しさを表す。
  この様に、物部の祀る神は『猛々しき武人』の神であるが、この『猛々しい』部分が
 強調され『カミナリ』信仰と誤認されてる可能性がある。
 『雷神』を祀る、雷神社・大雷神社の由緒を調べてみると、多くの神社は由来不明で定
 かでないが、雨乞いの伝承・五穀豊穣・等『農耕神』の性格を強く表しているが、大雷
 神を金山守護神とし祀った神社もある。

  ≪例えば≫  
  大雷神社  鎮座地 福島県相馬郡飯館村飯樋字外内96―1
        御祭神 大雷神(おおいかづちのかみ)・田神(たのかみ) 
        由 緒 『「由来も知れず、小祠、雷神社の前庭にあり。田園の中程
            にあり田の神として村民有志の祀れること」と飯曾村郷土史に
            ある。
            田の神は、年々境内が狭くなり荒廃したので、文化八年十月二
            十二日、肝入りの渡部三右衛門が雷神社に遷宮。以後、庶民に
            は「田の神様」として親しまれている。相馬藩が各郷に雷神社
            を奉祀し、郷鎮守とした中の一社であるという』云々と、
            ・・・福島県神社庁相馬支部 管内神社誌より

  この様に、相馬の場合は、雷神社を村の鎮守として祀っていた事がわかる。又、物部
 氏の中で、鉱業に関連した人々が祀った神々は、

  黄金山神社 鎮座地 宮城県遠田郡元涌谷村黄金宮前
        御祭神 天照皇大神・金山彦命(かなやまひこのみこと)・猿田彦命
        由 緒 「・・・・聖武天皇の天平感宝元年(749年)初めて黄金を
            出の地故に之を祀ると云傅ふ」

  黄金山神社 鎮座地 宮城県牡鹿郡鮎川村金崋山
        御祭神 金山畏古神(かなやまびこのかみ)・金山畏賣神(かなやまびめの
            かみ)
        由 緒「聖武天皇天平十八年百済敬福を陸奥守となす同年二十一年二月
            陸奥始めて黄金を貢す是に於て奉幣畿内七道諸社に告げ天平勝
            宝と改元せられ大友家持は(すめろぎの御代栄えんとあづまな
            るみちのく山に黄金花咲く)と祝し奉つた爾來陸奥山は金崋山
            し稱せられ山内鎮座の黄金山神社は延喜式内の古社なるが奉祀
            年代詳ならず・・・」云々と・・・宮城県神社要覧より

  金山神社  鎮座地 岩手県九戸郡種市町第一地割一六番地
        御祭神 金山彦命
        由 緒「・・・・・・藩制時代和座から鉄が産出されて以来鉄山の守り
            神として祀られていた事と思われると思われる。」・・・・
               ・・・・ 岩手県神社名鑑より

  雷神社   鎮座地 岩手県東磐井郡室根村津谷川字金生五七番地の一
        御祭神 大雷神
        由 来「当社は人皇百四代 御土御門院の御代、文明年中(1469~
            1487年)室町幕府将軍足利義政公管領、畠山持国の次男内記国
            安が黄金山 守護神として勧請せしものなり。内記国安が奥州筋
            金山奉行として幕府の命を蒙り、寛正(1460年)の頃より奥州
            に出張各地を巡り藤原時代より黄金の産地と伝聞き、遂に当地
            に来り無類の山相を視て、黄金産出疑いなしと。この地を金山
            事業所に着手する。当時の産金は流し山の法とて水にて土砂を
            洗い流し砂金を採取する方法なり。先ず谷奥に水源を求め、山
            腹に水路を造り、沢々の水を合流、要所に堤を築き、これに水
            を導き溜めるため八方に人夫を配り、数年にして普請漸く成就
            せしも、文明三年(1471年)、 同四年(1472年)打続く大旱
            魃のため谷水細く、堤に水を溜めること叶わず、内記国安大い
            にこれを歎き、験者と共に天神を仰ぎ天水を祈り処、七日満願
            にして雷雨頻に降りて三日間止まず、百余カ所の堤に水満々た
            り、依ってこの水を利し、流し山の法にて産金を行ないし処、
            金体満出、内記国安直に砂金を将軍に献上し、この趣き言上せ
            し処、御感斜ならず同山を黄金山と称し、なお雷神宮勧請す
            べき厳命により奉祀された。」・・岩手県神社名鑑より

  相馬の例を見る通り、雷神は農耕の神と祀った為、多くの土地に祠などがあり、一概
 に精錬種族のものとは云えない。

  次に、岩泉地方史によると、

 「砂鉄精錬に関系をもつ人々は、鉄は人間の力だけで鉄ができるとは考えなかった。鉄
 は神、仏の加護があればこそと信じていた。そこに信仰が生まれ、これにかかわる行事
 も行われたわけである。鉄に関連をもつ人びとが、どのような守護神を信仰したかとい
 うと、所によって違うが、荒神、稲荷神、山神、金屋子神等がある。岩泉地方の鉄山の
 守護神は山の神と金鋳神(金屋子神、あるいはたたら神ともいう)山の神は文字通り山を
 守る神で、大山祇尊が祭神で、全国的に十二月十二日が祭祀の日である。この日に山に
 入るとたたりがあるというので・・・・・」・・岩泉地方史・上巻・803頁より
 
  以上の事から、著者の主張する「城生金成」の地名由来、カミナリの音便、カンナリ
 に由来するのは無理があり、又、栗原郡金成は産金に関系ないと云うのも伝承などを
 考慮せず、論理的でない。尚、雷神を祀った所、金属精錬種族ありとは云いがたく、
 相対的に見て無理があります。
  

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○ Ⅴ・岩手の地名百科・芳門申麓・著書の「神成」項を検討する。

※ 神成(かみなり)の項・・・・136頁・・・原文
  ① 神成〔久慈大川目〕(近接地名)田子内・大久保
  雷鳴で、雷神信仰。落雷木のある土地

※ 神成(かんなり)の項・・・・150頁・・・原文
  ② 神成(かんなり)(遠野綾織・宮守上宮守・岩泉岩泉・久慈大川目
  金成(かんなり)(北上口内・衣川上衣川・住田世田米・陸前高田横田・岩泉穴沢)

  近接地名・雷神山
  神鳴(かみなり)の意で、雷神、水神、龍神信仰や落雷木のある土地。
  上記の赤字で示したカ所が誤りで、これらを個々に検証する。

  1)①、②の神成(かみなり)・(かんなり)―久慈大川目のカ所
  2)②神成(かんなり)―遠野綾織のカ所
  3)①、②の神鳴由来説
    以上、この3点に集約される。

  1)の課題は単純で
    ①の神成(かみなり)―久慈大川目
    ②の神成(かんなり)―久慈大川目のどちらが正しいのか?
    これは、同一の地名で現在は「かんなり」と読むが、過去には「かみなり」と読
    んだ可能性があります。

  2)②神成(かんなり)―遠野綾織
    遠野綾織に神成(かんなり)の地名は存在しない。
    遠野綾織にあった地名で「カンナリ」と呼ばれたのは、金成淵と云う地名であ
    る。
    即ち、誤・遠野綾織―神成 ⇒ 正・遠野綾織―金成となる。
    所在は遠野綾織・猿ヶ石川・金成淵と云う。現在は存在しない。
    上閉伊郡綾織村郷誌(県別分類・岩手県・金成淵項参照)に記述があります。

  3)神成・金成の地名のについて
     著者は①、②共に「神鳴(かみなり)の意で、雷神、水神、龍神信仰や落雷木
    のある土地。」と、一纏めにしているが②の「神成」の項には「金成」と云う地
    名も入っており、著者の述べる①の由来については「神成地名由来」で述べた由
    来と比較しても誤認と云えます。

    ②の遠野綾織の金成は、金成淵と云い、上閉伊郡綾織村郷誌に、
     遠野綾織・猿ヶ石川・金成淵は金成右京大夫政実の奥方の人名に由来すると記
    載されている。
   (詳細は県別分類・岩手県・金成淵の項参照)
    この様に人名に由来し、カミナリとは全く関係がない。

○ Ⅵ・随想!アィヌ語地名(岩手県市町村別) 菅原進著 

   №47 ◎北上市のアィヌ語地名 
   ・・・金成(かんなり)・・425頁の項で
  『「かんなり」の地名は、「神成」とも書かれ、岩手県内には合わせて9ヶ所ほど見
   えます。
    そのいずれの地名の由来も「神鳴り」=「雷(かみなり)」の転訛だと説明されて
   いるようですが・・・・・・
    
    しかし、この「かんなり」は、その漢字の表記はどうあれ、古代から引き継がれた
   古い地名のようであり、次のようなアィヌ語系の古地名である確率が高い様に思い
   ます。
   
   「かんなり」の語源は、=アィヌ語の「ヌプリ・カ・ウン・ナィ(nupuri・ka・
   un・nay)で、その語頭の「ヌプリ」が省略された形の地名であると考えられ、その意
   味は、=「山・の上て・に入って行く・川」になります。』・・・・・原文抜粋
    との、アィヌ語由来説を検証する。

    問題点は、著者が「金成・神成」地名を岩手県内に限定し、且つ、「金成」=「神
   成」とした事です。
   「金成」地名は全国に18ヶ所あり、その分布は岩手・宮城・福島・茨城・島根・
   山口と広域にわたり分布しています。同じく、「神成」地名は18ヶ所、岩手・秋
   田・福島・群馬・富山・新潟・静岡・愛知・三重・徳島と広く分布しています。
   (県別分布図参照)

    これらの分布を見ても分かる通り、富山・島根・山口・徳島などの「金成」・
   「神成」地名は、アイヌ語系古地名と云えるのだろうか非常に疑問です。
    それではアイヌ語と現代日本語の関係を考えた場合、私見ですが、アィヌ語は
    古代日本語を色濃く残している言語だと考えられアィヌ語と類似点はあると思い
    ます。

    又、「金成」=「神成」と著者は考えられておりますが、前述した通り「金
   成」・「神成」の地名由来は個々別個のものです。
    更に、アィヌ民族は関東以西、徳島、島根、山口などに居住していた根拠はある
   のだろうか。一般的に云うとその根拠はありません。
    以上の事を総合的に考えると、著者の云う、アィヌ語系、古地名と云うのは誤認
   と思います。


Ⅶ 日本地名大事典 上 吉田茂樹 新人物往来社 2004年度出版

○ かなり 〔金成〕 福島県いわき市の地名。鎌倉中期(建長五年)に「皮成村」で
 見え、鎌倉末期に「金成村」と記す。「カワナリ(川成)」の意で、雨が降ると、川が
 生まれる所をいう。・・・・・194頁(原 文)

  と、著者は、いわき市小名浜『金成・かなり』の地名由来を「川が生まれる所」に求
 めているが、その根拠は、慶長5年・関東下知状(岡本元朝家蔵文書)に「皮成村」と見え
 る、「皮成村」の文字から「皮成」=「川成」と連想し、「カワナリ」、川が成る場所
 と考えたものであろうが、著者は大きな誤認をしている。

「皮成村」は「カナリムラ」と古くから呼称されていたもので、「カ」の当て字として
「皮」の文字を使用したにしか過ぎない。古来から音に対して文字を当てると云う事が往
 々にして行われていた史実。文字より呼称に比重を置く必要がある。

  次に、地形的に見ると、「金成村」は藤原川の支流、矢田川中流右岸、西側は小高い
 丘に挟まれ、更に矢田川の支流が流れている狭い地域である事実。地形から見て、一般
 的云われる、雨が降って「川が生まれる」地形とは言い難い。
  即ち、『かなり村』の呼称は「カナリ」≠「カワナリ」で地形的に見ても、『川な
 り』に由来すると云う説は誤認に基ずくものと云える。


○ Ⅸ 日本地名語源事典 吉田茂樹 新人物往来社 昭和56年度出版

○ カミナリ(神成) 群馬県その他にみえ、「カンナリ」というのも同義。
 『カムナビ(神の鎮座する所)』で、神社の地をいう。・・・167・168頁(原文)

  と、著者は『神成・カミナリ』の由来を「神の鎮座する所」とし、神成の地=神社の
 地と云っておりますが、必ずしも神成の地に神社が在るとは云えません。
 『神成・カミナリ』の地名の由来は、旧・富山県福光町神成の地の伝承に求める事が
 出来る。

  福光町史 上巻に
 『村名の由来は、古くからの伝承として、古事記に載る、古志国と出雲国との抗争の
 後、次第に出雲族の勢力がこの地方にものび、大国主命が今の神成の地に進駐された
 ところから神御成村と唱え、略して神成となったとある。』と伝承されています。

  即ち、福光町の『神成』と云う地名は、神代時代から古い地名で、大国主命がこの地
 に進駐した事により、大国主命=征服者=神が、進駐=御成りと云う事を、呼称したの
 が『カミオナリムラ・神御成村』がこの地由来で、著者の云う神の鎮座する所』と
 は少しナアンスが異なる者と思う。

《 地 名 由 来 の 考 察 1 》

 《金成―かなり・かんなり・・・産金伝承に由来するもの》

(1)島根県八束郡東出雲町大字下意東字金成山(かなりやま)

※ Aは金成山古墳位置図

金成山古墳位置図・クリック拡大

※ Google 地図検索 島根県八束郡東出雲町大字下意東字金成山で表示
※ 島根県遺跡データーベースで表示

地名の由来は不詳
 「金成山」の地形は、中海と云う湖のすぐ傍の低丘陵地で標高20m程度の丘。

「金成山」の地に産金・産鉄伝承はないが、古墳時代の石棺式石室(消滅)・(金成山古墳)江戸時代の窯跡(消滅)などがあったと伝えられる。』のみで、その詳細は不明である。

『考 察』
 古墳時代に遡る(さかのぼる)「金成山」の地名の由来は時空の彼方で直接的資料も残されていないが断片的資料をつなぎ合わせ考察する。

 下意東に隣接する安来市はタタラ製鉄関連の遺跡が多数あり、この地方は鉄器の一大生産
先端地域であった。この時代、人口密度は今の様に込み入っておらず、疎で広範囲に広がっていた。

 製鉄は、渡来朝鮮系の人々で、死後、朝鮮半島の望める場所に埋葬されたものでこの一帯は多くの古墳があります。
 更に、この地方の方言にその手がかりを求めると『カンナースル』と云う言葉があります。その意味は「砂鉄を採る仕事をする」と云われています。

 又、古老の語るところ
「コノ ヘンデ カンナーシタ オボエ ナイ ガネ」とは、「このへんで、砂鉄をとるしごとをしたおぼえ<記憶>はないがね。」と・・・
『砂鉄の採取場』が「カンナ」と云われてきたと伝えられる。
 砂鉄採取の作業に「鉄穴流し・カンナ ナガシ」と云う水流によって選別する作業があります。この時に大量の水を使うため、川のある場所が必要になります。その川の事を、古代朝鮮語で「ナリ」と云う。

 これらを複合的に考察すると、
 金成山古墳の「金成山・かなりやま」と云う呼称は、現・安来市を含むこの一帯に在ったタタラ製鉄に関連する長を埋葬した場所で、砂鉄採取場・鉄穴流しの「カンナ」と古代朝鮮語の川を表す『ナリ』とが合生され「カナリ」と呼称した。

 その文字の「カ・金」は、渡来朝鮮族の姓の『金』又は、鉄、金属などを包括的に表す『金』、『ナリ』は音が同じで意味的にも通じる『成』と云う文字をあてて『カナリ・金成』と称したと推察出来る。
 この地は、『金成』地名の始まりで、金属種族が北上するにつれて、砂鉄・金などの採取場に関連する地名として全国に広がるにつれ、呼称が『カナリ』⇒『カンナリ』・『カナリ』⇒『カネナリ』などに転訛した。
 よって、下意東字金成山(かなりやま)の地名の由来は、金属種族関連の長を埋葬したものに由来すると云えます。

(2)山口市大内御掘氷上地区・金成山 (かなりやま) 標 高 175m

    山口市・金成山所在位置図

山口市・金成山・クリック拡大

金成山所在位置はAポイントより右側に位置する山

※ Google 地図検索 山口市大内御掘氷上で表示

 地名の由来は不詳 
 金成山の由来・起源は伝承されていませんが、『日本地名大辞典 35 山口県』に「御掘村の小字に下金成・中金成・上金成」と部落名が記載されていたが、現在は金成団地と云う地名になっている。

 金成山、読みは『かなりやま』と云い、『金成山』は島根県東出雲町の「金成山古墳」と読み・文字、共に共通する点、更に金成山の位置する図形から考察する。

『考 察』
 東出雲町の金成山古墳は、地域の方言の砂鉄採取場(カンナ)などと呼称され、砂鉄に
係わる地名と類推出来ます。
 又、隣接地域に周防鋳銭司遺跡があり、この地域に金属種族の人々が居住していたこと
が分かる。
 更に、砂鉄原料の精製方法の、鉄穴流し(カンナナガシ)に必要な水は、金成山麓を流
れる仁保川に拠った確保できる。
 以上の金属種族の人々の存在、地理的条件、金成山古墳との文字・呼称の共通性など
から、この金成山・金成(カナリ)と云う地名の由来は、砂鉄採取場に係わる地名と類推
できる。

(3)茨城県高萩市上手綱金成(かねなり)(旧・多賀郡松岡町大字上手綱字金成) 

※ 茨城県高萩市 金成地名所在位置図         YAHOO Maps 上手綱金成所在位置図

高萩市金成・クリック拡大

Hahoo・上手綱金成・クリック拡大

※ Google 地図検索 茨城県高萩市上手綱金成で表示されず。
※ Hahoo  地図検索 茨城県高萩市上手綱(金成)で表示

 上手綱字金成の読みは、『カネナリ』と呼称するのみで、その由来などの伝承は残されていないが古い地名と思われる。

 地名の由来は不詳
『考 察』
 旧多賀郡松岡町大字上手綱字金成の地名は、『・・・関根川の上流域の金成新田は正徳元年(1711年)鈴木氏によって開発された。』と金成新田開発記念碑に刻まれている。

 この地域は、常陸の国風土記が作成された以前より古く、金属種族の人々が西から移住していたのは鹿島製鉄遺跡などからわかる。 又、奈良時代、現・宮城県涌谷町で日本最古の砂金の発見と同時代、現・栃木県馬頭町、現・茨城県大子町などからも砂金が採取されていた。
 更に、地域の多くの金山、砂鉄などがあり、佐竹氏の時代数え切れないほどの金山がありその最盛期を迎えた。慶長七年(1602年)佐竹氏は常陸から秋田に国替えされ多くの金山が消失した。それを『金と美人とハタハタは佐竹さんと一緒に秋田へ行った』人々は言ったと伝えています。

 現在・『金成・かねなり』と呼ばれているのは何故か。
 古くは『かなり』呼称し、表記を『金成』の文字で表したため、『金成』の文字から『金成・かねなり』と転訛したものと類推できる。
 島根・山口では『金』と云う文字の読みが、『か』と読み、茨城では『かね』と読み、宮城・岩手では『かん』と読んでいる。

 茨城で『金・かね』と読む事例として、同じ多賀郡『金沢村』に金沢金山があり、
『金沢』という地名の読み方は、一般的に『かなざわ』と読むが、茨城では『かねさわ』と云う。

 この様な歴史的背景から推察すると、「金成」地名は西とから移住してして来た金属種族の人々よって、産金・産鉄・製鉄関連地名として「金成・かなり」と呼称され、後に『金成・かねなり』と呼ばれる様になった。

(4)福島県いわき市小名浜金成(かなり)

福島県いわき市小名浜金成地名所在位置図

A・小名浜金成地名・クリック拡大

※ Google 地図検索 福島県いわき市小名浜金成で表示

 地名の由来は不詳
 一部地元では『中世には、全国的に「川成」と云う地名も多くあり、川の氾濫を田にした場所をこう呼び「川成・かわなり」が語源の可能性があると・・・・地元の意見』と云う説もあるが、これは、吉田茂樹著書の日本地名大事典によるものと思います。


○ 金成の地勢は藤原川の支流矢田川中麓に囲まれた狭い地域。
○ 延享4年(1747年)村明細帳に家数21、人数113人とあります。
 地名については、建長五年(1253年)関東下知状(岡本元朝家蔵文書)に「皮成村」とみえる。

○ 嘉暦四年(1329年)・陸奥国、岩崎郡金成村地頭の金成又三郎が、東国人鎌倉番人に所領を譲り状
暦応三年(1340年)岡本加成隆広(金成村地頭)は菊多庄大波山の合戦に相馬親胤に属して戦っており、そこでは岡本加成氏を名乗ってい。

○ 暦応三年(岡本隆広軍忠状)以後、金成などもみえる。
 貞和六年(1350年)には岡本孫四郎(隆広)は面付の役として砂金10両(140g)の納入を京都の幕府から命じられいる。  (出典 日本歴史地名体系 7 福島県の地名)

『考 察』
 「皮成」を「かなり」と呼称するものか、又「かわなり」と呼称していたかによって、その由来は大きく変わる。
 「皮成」=「かわなり」と呼称していた場合は、「皮成」=「かわなり」=「川成」となるが、「川成」地名の他の地勢を比較して見ると、

愛知県岡崎市中園町川成・クリック拡大



◎ 愛知県岡崎市中園町川成
 西三河平野を流れる矢作川流域に、「川成」地名があり、平野に大小多数の川ある。
 雨が降ると川は氾濫し新たな流れの川が出来る地勢と云えるでしょう。

A・静岡県岡崎市中園町川成・クリック拡大



◎ 静岡県富士市川成新町
 富士川、河口流域に位置し、「川成島」・「川成新町」などの地名があり、河口平野部には大小の川がある。
 愛知県岡崎市中園町川成の地勢と非常に似かよっている。

A・徳島県那賀郡那賀町川成・クリック拡大



◎ 徳島県那賀郡邦賀町川成
 1000m級の山々に囲まれた谷深き渓谷に「川成」また、山の頂上部に「川成峠」地名があります。
 この地名の由来が、雨が降ると、川が成ると云うには、地勢的に見て疑問が生じます。

 上記の事例と比較して、小名浜「金成」の地勢は、由来が「川成り」に由来すると云うには、聊か無理がある。

 建長五年(1253年) 「皮成村」と文書に現れる以前は、何と呼称されていたか。文字の如く、「皮成村・かわなりむら」と呼称されていたのか、それとも「かなりむら」と呼称され、文字は単に当てただけで、その文字そのものに意味がないものだろうかと考えた場合、嘉暦四年(1329年) 岩崎郡金成村地頭に金成又三郎なる者が居たと云う文書から推測すると、

 古来から「かなりむら」と呼称され「金成村」と表記されていたするのが妥当と思います。

 ならば、古来から「かなり・金成」と呼称・表記されていた、この地は、移住して来た金属種族の人々よって、砂金・砂鉄に関連する地名として付けられた。

 その根拠の一つとして、戸数21・人数113人の小さな地頭に対して、京都の幕府は砂金10両の納付を命じている事実。少なくても幕府は、「金成・かなり」の地で、砂金が採取されること知っていたからの命令ではないかと思います。

 又、地勢的に見ると小山の傍を川があり、他の「金成」地名と類似している点。
 以上の事を総合的に見ると、小名浜「金成・かなり」の地名由来は、産金・産鉄に関連する地名と云える。

(5)岩手県奥州市衣川区金成(かんなり)(旧・岩手県胆沢郡衣川村下衣川字金成)

旧・衣川村下衣川字金成地名所在位置図

奥州市衣川区金成・クリック拡大

※ Google 地図検索 岩手県奥州市衣川区金成で表示

地名の由来は

○ 衣川村史 Ⅲ 資料編 十二 衣川誌(推定作成年代・明治30年頃)
   四五 金成石・・・衣川村史179頁

 『白山社より西南に当れる山中に二個の大石及び七個の子石り。此石、往古は如何なる
 暗夜と雖(いえども)も光芒を放ちたり。地名は之に起因すると事、載せて風土記にあ
 り。蓋して荒唐無稽の説なりし雖も古く其れ伝うるままに記載せり。』

   五三 白山社・・・衣川村史180頁

 『字金成に鎮座す。元白山権現と称せしが明治以来白山神社と称せり。本地佛十一面観
 音、慈覚大師の作なり。』

○ 民間伝承
 『天喜五年(1057年)前九年の戦(いくさ)の時、源氏軍が金成坂を下って安倍軍を攻め
 て来た。』と語り継がれている。

『考 察』
 地名の由来になっている『金成石』の伝承は、衣川誌の編者によって荒唐無稽と切り捨てられたが、この文章を検討すると、「二個の大石、七個の子石」この中で、二個と七個は個数を表している。

 残るのは、「大石と子石」、「の表現は、自然金塊の露出又は砂の金露出を言い、一見石の様に見えた。

 更に、『暗闇といえども光芒を放ち』と在るのは、月明かりに反射し、その石又は、その一画が黄金色に輝き光を放つ情景を描写していると想像出来ます。

 これは、炭焼き藤太伝説にもあるように、炭焼き小屋の周辺に砂金が露出したと伝えられている事と、表現は異なるが非常に似ています。

 更に『金成』と云う地名の文字に注目すると、この文字は、砂鉄・砂金等金属に関連するのが、島根・山口などの例から推測できます。地形的にも、山口・茨城・福島の金成地形と非常に類似する事が分かります。

 又、「金成」地名は、天喜五年(1057年)の前九年の役、源氏軍が金成坂を下って来たと伝承される事から、その当時すでに「金成」の地名は存在していたのが分かる。

 これらの事から、綜合的に見ると、
 衣川誌の伝承は、比喩的表現であるが、地形の在り様を伝え、「金成」地名の由来でるある事も併せて伝えいる事実から、今は、忘れされている、「金成」の地名の由来は産金に基ずくと云える。

(6)宮城県栗原市金成(旧・宮城県栗原郡金成町)

    旧・金成町所在位置図
宮城県栗原市金成所在位置図
※ Google 地図検索 宮城県栗原市金成で表示 

地名の由来は

○「安永風土記書出」によると次のようにある。

 『金成は往古吾勝郷三迫金田の里と申し、栗原郡金田荘の出郷にこれあり候由申し伝い
 候。隣村畑村に住居仕候炭焼藤太黄金を掘出し、京都へ献じ候に付き村名を下し置かれ
 久安年中(1145~51年)金生村と罷り成り候由。

  中古は神成村と文字相認め候処其後金成村と認め来り申候。
 当郡三迫畑村、小迫村と共に金成一村の内に御座候処、追て三ヶ村に相分れ申候。当村
 も向金成、北金成と両村に相分れ申し候処、寛永18年(1641年)御竿直の時一ヶ
 村に相成り候由に御座候事。』

○ 炭焼藤太史・・・・金成町史 182頁より

  畑・常福寺に伝わる版木(貞享3年2月壱日)を昭和22年頃、時の住職大枝常雄氏が
 解読したものという。

 『藤太は白河近衛帝の時の人なり。奥州栗原の里三の迫村産じて其爲人此也質朴簡素に
 して、炭を焼いて生業とす。其頃京師公卿三条盛実乃女おこや前とて侍りしに、如何な
 る故にや年たけぬふまで定まる夫とてもなく暮し給ひければ、清水の観音へ祈願し給
 ふ。

  満参の暁に、奥州栗原の里と云う所に炭を焼く藤太と云う男こそ汝の夫なれ急ぎ下り
 ていもせの語り合せよとあらたなる霊験を蒙り、其より乳母一人供なひてはるばる其所
 へ下り、藤太にめぐり合ひ夫婦の契りあさからず、もとより人趾まれなる山家なれば、

 ひもしく暮し給ひける。或時おこやの前砂金一包取り出し、之にて姉歯の市へ行き米買
 ひ給ひと渡されければ、藤太姉歯へ行かんとして金成村を通りしに、折しも沼に雁鴨む
 れいたりしを見て、包みし金つぶてをはなちて手を空しうして帰へりける。おこやの前

 、あれは金にて此の世の宝なるに、つぶてにうちねらうは甲斐なけれとかこち給ひば、
 あれこそは世に多きものなれ、我が住むあたりを見候へとて、案内して見せけるに、岩
 崖砂礫ことごとく黄金にてぞありける。さればこそ大悲の示験示しからすとて、それよ
 り金を掘らせける程に、ほとなく□□になり、おこやの前の腹より橘治橘内橘六と云ふ
 三人の男の子を儲け(三子)、三葉四葉に殿作し大福長者となり給ひ、今の世までも美名
 をのこせり。

一、炭を焼きしほとり金を堀り出したる所を今に金山沢といふ。
一、炭を焼き蓄置き笹にて上をおほける所を今に笹の蔵といふ。
一、砂金をつぶてに打ちし所を金沼と云ふ。
一、金をふきたがねをかまひし所を今に鍛冶屋敷といふ。
一、金を干し扱し所を今に干屋沢といふ。
一、藤太実(黄)金にて鶏一つがひ造り山に埋め山の神を祭りしとて、そこを鶏坂といふ。
  気晴和をりふしは鶏の声ありといふ。
一、藤太後に官命を賜はり藤太夫と号すといふ。・・・・・・省略・・・・

  右仁安三年より五二〇年渡る藤太夫事蹟の亡ばん事を恐れて、古の口伝をしるし書き
  ぬ。』と、記載在り。
     
○ 尚東館に残る「清淨院系譜」によると次のことがある。

 ※ 神成邑清淨院隆綱・承元3年(1209年)戊辰9月8日卒年46才 
 ※ 清淨院盛隆の延元元年(1336年)丙子秋 領主大崎左京太夫源家兼の時金成邨
   二邑に分つ、東北を北金成、南を向金成という。
   
 ※ 文和4年(1355年)正月11日金成沢 清原行隆(金成禰宜図録)・・・金成町
   史又、金田八幡神社(旧・宮城県金成町字館下12)の縁起記「延宝3年(1675
   年)当時八幡山金田寺と称していた。当時の住職、龍宝院 承栄が記す」に曰く
  「奥州栗原郡金田庄金生村(古くは神生村、俗書では神成の後に金生と改め現在に至
   る)東館(古くは金田城、今俗に戸館)・・・(解読及び現代語訳 佐藤弘弥 
   出典・源義経デジタル文庫)

『考 察』
  上記の通り、「金成」の地名は産金に由来するのがわかる。又、これをもう少し、細
 かく分析すると。
  炭焼藤太の古事は、衣川村の「金成石」の伝承を物語風に脚色しているように見える。
 山中に砂金があったと云う事柄が主な目的で、貧しい炭焼きが砂金を発見し、朝廷に献
 上したと・・
  それは可能であるのだろうか?時代的背景を見ると、この時代、一介の炭焼きが朝
 廷に、直接「金」を献上する事が?
  もし、献上するとすれば、国府を通して行わないと、軍事力によって制圧され献上も
 出来ないはずである。

  更に時代的背景を見ると、金成の地は奥州藤原の支配地で、尚、衣川伝承と密接な
 関系があると思える。
  単なる炭焼きが、「金」を鋳造する知識をどうして持っていたのだろうか、不思議な
 話である。
 
  これらの疑問を考える時、「吉田東吾著・第日本地名辞書」の金成項に『延暦二十年
 (801年)坂上田村丸、奥州再討伐の下向、金成邑に屯軍の時、神に祈り多くの沙金を
 掘り、軍費に充て、因りて、此地を金田の里と号せしめる。・・・・』と記載在り、

  久安年中(1145~51年)の藤太の伝承より、凡そ三百五十年も前に坂上田村丸
 によって、この地域で金の産出が行われており、三百五十年と云う時間は産金システム
 を構築するにたりる時間と云えよう。推察すると、炭焼藤太の「炭焼」とは、砂金や
 鉄の精錬に必要不可欠な素材「木炭」の生産を統轄している長(おさ)の呼び名で、そ
 の集団は山師(鉱山師)で藤原氏の産金生産集団の一員であれば疑問は解ける。

  と、同時に、朝廷に献上したとするならば、それは藤原氏の意向に基づいていると云
 える。

  次に、村名の変遷について検討する。

 久安年間(1145~51年)は奥州藤原二代基衡の時代である。
 この時代、朝廷より金生村と村名を賜ったと
 久安年間(1145~51年)    金生村
 承元3年(1209年)     神成村
 文和4年(1355年)     金成村

  俗書では、

  古くは、神生村⇒神成⇒金生⇒金成と諸説あるが、・・・・・・
  変遷を検討すると、

 「金生・かなう」の意味は(金・キン)を生むで、「生」=「成り」である、と考えた
 場合、藤原氏の支配地と併せると、「金生」=「金成」と呼ばれていても不思議でな
 い。これは大胆な推測であるが、藤原時代にはすでに「金成」と呼ばれていた。

  文治5年(1189年)の頼朝軍の進撃により藤原軍は敗退、清浄院家は恭順の意を込め
 て、藤原氏と繋がりの深い「金成」と云う地名を、清浄院の身分である神職の「神」の
 文字を同じ読みである「金」の字と入れ替えて「神成」と村名を称したが、定着せず
 「金成」が広く使用され現代に至る。又、「金生」の名称の名残は長根沢地区に「金
 生」と云う小字名がある。

  この様に、一時的に「金成」と「神成」が混同すると云う混乱があったが、富山県旧
 福光町神成、群馬県富岡市神成等の由来と併せて考察すると、地名としての「金成」と
「神成」は基本的には別のものであると類推できる。

  即ち、金田庄金田里と包括的に呼ばれていた地区に「金生邑」と名称が付けられた。
  金田の里⇒金生邑⇒金成邑⇒神成村⇒金成村と変遷した。
  よって、金成の地名は伝承による産金に由来する。

(7)岩手県陸前高田市横田町金成(かんなり)

  陸前高田市横田町金成所在位置図

陸前高田市横田町金成所在位置図:クリック拡大

  A: 陸前高田市横田町本宿
  B: 陸前高田市横田町金成
  C: 陸前高田市横田町袋沢
  D: 陸前高田市矢作町雪沢
  E: 陸前高田市竹駒町(玉山)

※ Google 地図検索 岩手県陸前高田市横田町金成で表示 

 地名の由来は不詳

 『横田川では、慶長年間(1596~1645年)から寛永年間(1624~1644年)頃まで三吉砂金を産し、本宿・点南沢がその中心であったが、のちしだいに北方に進み金成・袋沢付近でも採取された。』と記述あり。・・・「日本歴史地名大系 3 岩手県の地名」より 

○ 陸前高田市の諸金山
   玉山金山・・・・・天平年間頃から(729~749年)~
   雪沢金山・・・・・藤原時代
   横田川川筋・・・・三吉金山等

『考 察』
 由来不詳と云われているが、断片的な少ない史実によると、寛永年間、この地域の金鉱山採掘の転詮が記録されている中で「金成」の地で金の採掘が行われていた事が記録さるが、古くは、天平年間(729~749年)の頃から自然金の採取が行われ、「金成」の地名から考察すると、自然金の採取・加工などの金属種族の移住により、それに係わる地名として呼称されたものと思う。
 よって、「金成」地名は産金に係わる由来と云える。

(8)岩手県気仙郡住田町世田米金成

 住田町世田米金成所在位置図

住田町世田米金成所在位置図

画像の説明
※ 世田米・元禄絵図ここから
  
※ Google 地図検索 岩手県気仙郡住田町世田米金成で表示
 地名の由来は不詳

○ 「源平盛衰記」巻十一(育王山送金事)」
 『平重盛が奥州知行の時気仙郡からの産出金千三百両を大唐に送ろうとし、とあり、こ
 の金の産出地の一つは世田米の諸金山とも伝えられる。天正15年(1587年)と推定さ
 れる。」・・・「日本歴史地名大系 3 岩手県の地名」より

  記述にある様に、この当時、世田米には複数の金山(金採取地)が有った事がわか
 る。

○ 世田米村の諸金山は
   清水沢金山・・・・・・藤原氏時代
   青部山金山・・・・・・寛永年間(1624~28年)
   野尻金山・・・・・・・享保年間(1716~34年)
   蛭子館金山・・・・・・郡内五金山の一つ

  元禄三年の本判七十五枚一両八分二厘四毛で郡内一であった。・・(気仙史料)

○ 世田米村の神社
  天照御祖神社 鎮座地  気仙郡住田町世田米字大崎九四番地
         祭 神  天照大御神
         由 緒  世田米宿場の東側上段に、藩政時代に創建された。三社合
              祀の神社があり、嘉永四年(1851年)三月、村の有志た
              ちによって再建された。

  立石稲荷神社 鎮座地  気仙郡住田町世田米字和山二十の二
         祭 神  保 食 命
         由 緒  本神社の創立年号は不詳なるも、古老の口伝には、下館の
              館主浅沼某が天正年間(1573~1592年)に守護藩とし
              て勧請せし祠にして、古来参詣人多かりしという。下館没
              落後は和山部落の鎮護の神社として奉仕して来た。伝々と

『考 察』
  藤原時代の金の採取は金鉱石から精錬する技術は未熟で、殆どが自然金の金塊や砂金
 の状態で採取されている事を考えると、直接的な痕跡は残されていないが、

 村内、気仙川支流上流部に金沢の地名、「金成」の地形は気仙川支流の大股川とその支
 流の合流点の山間部(沢)に位置している。これら地形、名称、時代的背景、金成邑、

 衣川などの伝承、更に、気仙郡司・安倍為雄(金為雄)の産金伝承等を複合的に推察する
 と、「金成」の地名は藤原時代か、若しくは、それ以前の産金採取に係わる地名と云え
 る。

  又、村内に落雷などによる伝承は無く、雷神も祀っる神社は無い。よって、住田町世
 田米金成の「金成」の地名の由来は産金によると推察する。

(9)宮城県気仙沼市金成沢・金成沢川 (旧・本吉郡新城村字金成沢)

画像の説明

  A: 旧・新城村字金成沢
  B: 旧・松崎村上金取

※ Google 地図検索 宮城県気仙沼市金成沢川で表示

 金成沢・金成沢川の地名の由来は不詳

○「神山川の砂鉄・砂金の採取所、更に南隣の松崎上金取地域の砂鉄・砂金伝承、又古く
 は、当地は摂関家領本良庄に含まれ、年貢は金であった。」

○「松崎村に面瀬川上流に下金取・上金取と云う金取地区には、砂金採取、みよし掘りな
 どの古い採掘跡がある。江戸時代まで砂金・砂鉄採取していた。平安時代末期、当地方
 は奥州藤原氏の支配下にあり、また、摂庄家領本良庄に含まれ、年貢は金であった。
  北上山地東麓一帯の村々には砂金や砂鉄採取の遺跡や伝承が多数残されている。当村
 もその一つである。」
 
○「元治二年(1865年)御用頭書帳によると、当村(新城村)および赤岩村羽田に砂鉄山
 があり、(荒鉄一万五千貫 廿一山)」とある。

○「本吉郡地誌」によると、生業は・・・・鉄二千貫・炭一千五〇 〇駄。」とある。

  以上記述は、日本歴史地名大系 4 宮城県の地名・気仙沼市の項による。

『考 察』
 気仙沼市金成沢の「金成沢」の地名の由来ついて直接的伝承はないが、地勢条件・周辺
地域の年貢の状況等を参考に推察すると、金成沢は砂金・砂鉄の採取に関連する地で金属種族の人々により「かんなり・金成」呼称されていたと推察でき、金成沢・金成川の地名の由来はは砂金・砂鉄伝承よるものと云える。

(10)岩手県・金成山 標高 541m 

    岩手県金成山所在位置図

岩手県金成山所在位置図:クリック拡大

  
○ 位置・花巻市東和町田瀬地区と奥州市江刺区の市境に位置する。

※ Google 地図検索 岩手県・金成山で表示
地名の由来は不詳

   東和町史に、

○『・・・南部藩の産金地帯の一角に位置する東和地区の小山田、平山、田瀬は和賀稗貫
 両郡の北上東部と上閉伊小友から伊達領気仙郡に繋がる地帯で古来産金地として口碑伝
 説に伝承されているが之を証する古文書に乏しい。然し今に残る地名―黄金山、金成
 山、野金山、金山沢等の名称や、それらの付近に見られる敷跡、山の中腹に残る広大な
 屋敷跡、
  更には石臼が旧家の庭石などとして現存するを見れば遺跡、遺物にその昔の賑盛を窺
 わしめる。・・・』
  と、産金に係わる地名と位置づけられている。

○ 田瀬地区の神社・・・・・岩手県神社名鑑

  砥森神社  鎮座地 和賀郡東和町田瀬第四二地割一七六番地
        祭 神 少名彦命・須佐之男命・大宣都比賣命・誉田別命

  稲荷神社  鎮座地 東和町田瀬15区79
        祭 神 宇加之御玉之尊

  加茂神社  鎮座地 東和町田瀬24区100
        祭 神 武甕雷命・埴山姫命・白山日命

○「金成山付近において、雷伝説等はなく、田瀬地区に雷神を祀った神社も無い。又、金
 成山に神社、祠等も無と云う。」・・・地元の話し

    
&size(18){『考 察』
};  金成山の地名由来について、由来不詳であるが、東和町史の記述からわかる様に、直
 接的伝承はないが口伝などに「金成山」の地名も産金に関連する地名と伝えられている
 事を考え併せると、「金成山」の地名の名称の由来は古代の産金伝承によるものと云え
 る。

  又、山岳分野で『雷が多い山、落雷地、両(雨?)乞い山、雷神を祀り』金成山と称し
 た、と云われるが、その様な伝承、金成山に雷神神社の祠等の存在なく、雨乞い・落雷
 地等の口伝は東和・瀬田地区伝承されていない事からも併せて、考察すると、金成山=
 雷神説は誤説で、古代の産金に由来とするのが類推できる。 
 
    

(11)岩手県下閉伊郡岩泉町穴沢金成

 岩手県下閉伊郡岩泉町穴沢金成所在位置図             岩手県岩泉町金成・神成所在位置図

岩泉町金成所在位置図・クリック拡大

岩泉町金成・神成所在位置図・クリック拡大

  A:岩泉町金成              A:岩泉町金成  B:岩泉町神成
※ Google 地図検索 岩手県下閉伊郡岩泉町穴沢金成で表示 

地名の由来は不詳

※ 岩泉地方史 下巻 第18章 岩泉の地名 第2節 岩泉の山(二)権現山・天神森・才の神

○「天神山 天神森はたいてい天神が祀られるが、袰綿の岡口には北野天神(北畠氏創建)
 二升石松野に天満天神、安家日陰には天神社がある。大船渡市には天神山、久慈市には
 天神堂、盛岡市、釜石市には天神町がある。

  太平のすぐ北の天神森(1,210)には、学問の神、菅原道真を祀った「テンジン」(天
 神)に因む地名であろう。天神地名は全国に分布している。

  天神とは「カミナリ」の意味で、昔中国の周公が雷となって怨みを表わした雷伝説
 に、道真が九州左遷、憤死等が、カミナリ(当時京に落雷、火災があった)に付会された
 という(12)。

  雷は「神鳴」で、古代人は落雷を神の怒りと考えていて、雷の伴う閃光が稲妻でこれ
 は雷のもってくる雨が、稲の生育かかせないのでこの名がでたという(13)。

  国境のイカ峠(雷峠)は、イカ、イカズチ(雷の古語)の落ちた土地(落雷地)に三日月神
 祠)で、竜泉洞近くのカンナリ(神成、カミナリ)はカンダチ(神立―落雷地)で小本、安家
 元村、小川にある神成、金成もこの落雷に関系ある地名らしい。尼額の雷神社や宮古市
 千徳の雷神祠(明治二十六年旧九月四日午前十二時落雷の石碑がある)は、この雷を祀っ
 たもので農耕に水をもたらす神として雷神信仰は各地にある。このイカズキサマ(雷神)
 の多い年は作がいいという。

  雷峠のイカは良質のいかけ粘土のある土地とか(14)、水があふれ洪水になり易い土地
 (谷川がある)や谷頭、山麓とか(15)、後に山を負う所の意もある。アイヌ語で山地を
 越すこと(浅不動に越す山路がある)を、イカ(伊賀の国)というのも山の後の小松山にア
 イヌがいたと伝えるから関連がありそうだ。」・771・772頁・・と記述あり。

  注 (12) 加藤常賢 漢字の発掘   (1972)
    (13) 川口謙二 忘れられた神仏 (1965)
    (14) 鏡味完二 日本の地名   (1964)
    (15) 赤木三兵 アイヌ語集   (1969)

※ 岩泉地方史 上巻 第10章 岩泉地方の鉱業
        第1節 鉱山(三) 田山鉱山 (大字穴沢) 金・銀・銅

 「宇田山に所在している。記録として残されているものがなく、発見の時代は勿論、そ
 の稼業の時代等何れも詳でないが、附近各所に散在する旧坑跡及び田山沢、二、三の沢
 の間にはかって水害によって流失するほど多量の山下吹銅の鉱滓が堆積し、谷の間、合
 間には数多くの石臼其他が散在しておった事実に徴すれば往時は盛んに稼業されたもの
 と推察される。田山部落民の間では、天正年間南部藩によって稼業されたと伝えられて
 おり、鉱脈は本銅鉱山につづいているところから、南部藩が天正年間舟木金山(本銅鉱
 山)を御手山として経営した際同時に経営した鉱山跡であろう。」・・757頁と記述あり。

○ 享和三年(1803年)の仮名付帳では家数七〇、うち本村四七枝村は丹内九・夏井一・
 田山沢三・金成二・南沢五。・・・日本歴史地名大系 3 岩手県の地名・穴沢村の項より

○「管轄地誌」では家数九四・人数五一二、牛三七七・馬一三.南方山地にあった田山金山
 は、江戸時代初期すでに大規模な開発が行われており、慶安元年(1648年)には同心頭
 衆七人のうちのひとりに中里村の弥八や大川村の佐左衛門と並んで、大阪商人九郎兵衛
 が任じられている。・・・」・・・日本歴史地名大系 3 岩手県の地名・穴沢村の項より

○ 穴沢地区の神社・・・日本歴史地名大系 3 岩手県の地名・岩泉村の項より・
            (岩手県神社名鑑に記載なし)

  小川神社  鎮座地 字小川の山上に鎮座する。
        祭 神 少彦名命あるいは、伊弉諸尊・伊弉冊尊と云う。

  新山神社  鎮座地 字小舟の山中に鎮座する。
   旧村社  祭 神 稲倉魂命

『考 察』
  岩泉町穴沢金成の地名由来は不詳であるが、金成の地名は岩泉地方史に記載されて
 いる様に、ここでも「カンナリ―神立」説、即ち、カンナリ―雷に由来とすると云われ
 ているが、金成の地名由来伝承がない為であると推察する。この地名を地域性、地形
 等から考察する。

  地勢・穴沢村は小川(こがわ)の中流域にあり、袰綿村の西に位置。
 小川が支流、田山ヶ沢・南沢を合せて北寄りを北西から南東に流れる。
  金成の地理的位置は尾根を挟んで南沢と田山の沢があり、田山の沢と尾根との中腹に
 位置する土地で、田山鉱脈に含まれる事は、地形図を見ると一目瞭然で田山鉱山に係わ
 る地名と云える。また、金成と云う地名の文字を考えた場合、前述したが、金成山古墳
 に発する、衣川の金成、栗原郡金成邑等と同じ金偏に係わる地名と類推出来ることなど
 から総合的に見て、由来はカミナリ説では無く、産金(銀・鉄・銅)に由来すると考察出来る。

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(12)岩手県北上市口内町金成

     岩手県北上市口内金成所在位置図           口内金成と近隣金成位置図

北上市口内金成所在位置図・クリック拡大

口内金成と近隣金成位置図・クリック拡大

   A:北上市口内町金成          A:陸前高田市横田町金成  B:宮城県気仙沼市金成沢
                    C:岩手県・金成山     D:北上市口内金成
                    E:奥州市衣川区金成

※ Google 地図検索 岩手県北上市口内町金成で表示

 地名の由来は不詳

 この地域は、古く、(旧村名) 柧木田村仙台領で村の鎮守は国ヶ森神社。

○ 雷神伝承は無い。

○ 国ヶ森神社 鎮座地 北上市口内町字国ヶ森一八一
        祭 神 宇迦魂神・大山祗神      
        由 緒 創立不詳であるが、本神社は元柧木田村の氏神として宇迦魂
           ・大山祗神を奉歳祀した。
            往昔、明神山上に滝大明神を祀り明神山神社と称した。
            この山は西北柧木田、北に小池、東には口内に接し東海山と称
            した時 に、この山に遷宮あってから和賀郡黒岩にて鮭鱒が御
            光のため北上川に 登らないといって同村民夜中に登山して御
            神体を地中深く埋め、その上に五葉の葛を植え置いた。その後
            御神体を山中に尋ね、穿鑿するも見出し得ず、延享二年
           (1745年)社殿のみ今の国ヶ森に遷し、東海山の山名を改称した
            と口碑に云う。

≪考 察≫
 通説、由来不詳と云われているが・・・・・
 地元には産金伝承もある様だが、それを裏付ける資料はない。だが、それを解くカギは「金成」・金成堤と云う地名にあると思う。

 金成堤と言う地名が古くから残っている。この堤の名称は古代の産金法である、流し山法に使用されていた可能性があると考察でき、周辺に点在する、衣川金成、金成山、世田米金成、横田金成等の例にも見られる様に、産金・産鉄に係わる由来に関係する地名と云え、「口内金成」の地名だけが、全く別の由来に起因するとは考えずらい。

 更に、この地区には雷神伝承は無いことからも、『口内金成』の地名由来は遥か遠い昔、砂金、砂鉄、を採取・加工に関連した金属種族の人々によって呼称されたものの名称だけが今に残っていると類推できる。
 よって、『口内金成』の地名由来は産金・産鉄に関連すると云える


(13)宮城県伊具郡丸森町金成

    宮城県伊具郡丸森町金成所在位置図         宮城県金成所在位置図

宮城県丸森町金成所在位置図・クリック拡大

宮城県金成所在位置図・クリック拡大

    A:丸森町金成           A:栗原市金成    B:気仙沼市金成沢
                     C:加美町城生金成   D:白石市福岡金成山
                    E:丸森町金成
※ Google 地図検索 宮城県伊具郡丸森町金成で表示 

地名の由来は不詳

【考 察】  
 地形は阿武隈川支流の上部、山間部に位置している。又、産金伝承など伝わっていない。
 何故、この山奥の人も住まい場所に地名がついて残っているのだろうか?

 その手がかりは、隣接する「鍛冶屋」と地名が雄弁に物語っている。「鍛冶屋」と云う地名の由来は鍛冶屋に由来する事は、事実に違わない。
 更に、古代、人家も少ないこの山の中で、鍛冶屋を営む条件を考えた場合、燃料の木材、原料の粗鉄などが入手しやすい条件が満たされれば、この地で鍛冶屋を営むのは容易である事から考察すると、問題は、原料の粗鉄の入手であり、
 それは、『金成』と云う地名が解決する。即ち、『金成』と云う地名は砂鉄の採取場である事は、東出雲の例などから容易に推察する事は可能である。

 これらの事から考え併せると、『丸森町金成』の地名由来は、砂鉄に係わると云える。


(14)白石市福岡深谷字金成山  標高 440m

   白石市福岡深谷字金成山所在位置図          白石市金成山・寒成山関係位置図

白石市福岡深谷字神成山所在位置図・クリック拡大

白石市金成山・寒成山関係位置図・クリック拡大

    A:金成山                A:金成山(かんなり山)                     
                        B:寒成山(かんなり山)

※ Google 地図検索 白石市福岡深谷字金成山で表示 

地名の由来は不詳

【考 察】 
 福岡深谷の金成山は標高約440mの山で白石市福岡深谷地区地籍調査完了資料に、金成山、金成、金成沢落合等の地名がある。
 同じく、白石市小原地区地籍簿に上寒成山とある。寒成山は材木岩の南側に聳える三角形の標高621mの山。

 この二つの『かんなりさんorかんなりやま』と呼称される地名に重要なヒントが存在すると思える。
 全く、物証の伝承もない中、大胆な推理が許されるなら、一つの仮説を立てると、同一地域、言い変えると同一支配地域に「かんなり」と呼称する必要のある地名が二か所存在した。
  二つの『かんなりやまorさん』の容姿は酷似しておらず、容姿による名称とは考えられないとすれば、「かんなり」と云う呼称に意味が有る。
 「かんなり」と云う呼称が特定の場所を指しており表記する時に、同一文字では間際らしく識別できないため文字を変えたと解釈すれば理解出来る。
 表記文字は異なるが、岩泉の場合も同じである。
 「かんなり」と云う呼称は、東出雲地方の方言に有る、カンナスール(砂鉄採取場と云う意味)の表記が『金成』となり、呼称がカナリ⇒カネナリ・カナリ⇒カンナリ・カナリ⇒キンセイ・カナリ⇒カンナリと変化したもで、その由来は砂鉄・砂金の採取・加工に関連しものであると類推できる。よって、地名由来は産金によるものと云える。


(15)宮城県加美郡加美町城生金成  (旧・宮城県県加美郡中新田町城生字金成) 

   中新田町城生字金成所在位置図            中新田町城生字金成所在位置図 

中新田町城生字金成所在位置図・クリック拡大

中新田町城生字金成所在位置図・クリック拡大

  A:城生字金成               A:城生字金成
※ Google 地図検索 宮城県加美郡加美町城生金成で表示


地名の由来は不詳

○ 「大崎地名考」により、地元では、雷が音便変化で「カンナリ」になったとする、「カミナリ」由来説を採っている。「カミナリ」音便説は、前述した通りで、「金成」地名由来を考察する。
○ 東北山脈の山麓で多田川・田川・鳴瀬川の左岸に位置する。
○ 雷神伝承は伝えられていない。

【考 察】 
 旧・中新田町城生字金成の地名エリアは、他の地域と異なり、面で無く点と云う事に注目する。
 今、この地名を考える時、どうしても現在の状況、又は近代の状況をを見て考えるが、この地名が「金成」と呼称された時代の多田川・田川・鳴瀬川流域は今と同じだろうか?
 
 今より1000年前の流域は現在と大きく異なり、カンナースルと云う砂鉄採取場が在ったとしても不思議ではない。

 鳴瀬川は今より城生柵に近い方に蛇行して、且つ人口は現在の14分の1ぐらであった頃、城生の柵の設置に併せ、金属種族の人々が北上し、金属生産に係わる施設を設け、その呼称が 「金成」と呼ばれた名残で、ピンポイントで現代の地名として残ったものであろうと類推できる。
 更に、その片鱗を窺(うかが)わせる地名が、金屋敷、鹿島神社、鹿島越などの地名である。
 又、大崎地名考の著者、鈴木市郎氏云われるように、栗原市・金成と同じであると云う認識立つなら、やはり城生金成も産金に由来する云える。

《金成山―きんせいざん 現在名:庚申山》

(ⅰ) 滋賀県甲賀市水口町 金成山=庚申山 標高 407m(旧・滋賀県甲賀郡水口町) 

  金成山(きんせいざん)所在位置図
金成山(庚申山)所在位置図・クリック拡大

※ Google 地図検索 滋賀県甲賀市水口町 庚申山広徳寺で表示 


地名の由来は不詳

○ 庚申山広徳寺の伝承に下記の様に伝えられている。
『今から約四百十年前に、庚申山広徳寺(滋賀県甲賀郡水口町)のある金成山(きんせいざん)の麓に藤左衛門という貧しい百姓が住んでいました。

 働いても働いても生計は苦しく、この上は、村を出てどこかへ行くより仕方がないと考えましたが、日頃から広徳寺の本尊である庚申尊を深く信仰していたので、庚申尊におすがりしてみようと意を決し、文禄二年正月二十三日(1593年)、広徳寺にこもり、断食し日夜ひとすじに家運の隆盛を祈願しました。

 またたくうち日は過ぎて、ついに十七日の満願の夜がきた。今は精根尽き果てて、もはやこれまでと一心不乱に祈念するうちに、ついうつら、うつらとする枕元に、卒然として七才ばかりの童子が現われ、銅に針丹(亜鉛)を混ぜる合金の法を細かに伝授された。

 藤左衛門は、このお告げに感泣し、急いで下山し、夢告のように真(しん)鍮(い)てみれば、不思議や黄金色の光沢をした合金を得ることができたのであります。

 これが、わが国における真鍮の錬製の始まりといわれています。
 藤左衛門は、真鍮の製造を思い立ち、この山間の僻地から、慶長四年(1599年)、京都に出て本格的に製造を始め、これが大いに当たって、家業が繁栄して、ついに巨万の富を積むに至り、元和二年(1616年)報恩のために広徳寺の本堂を再建しました。
 
 これより、庚申山広徳寺の本尊を我国真鍮の祖社として崇敬し、各地から参拝者が訪れています。
 藤左衛門が、京都で真鍮吹きをした場所は不明でありますが、その遺骸は、京都市上京区三条寺町天性寺に葬られています。

 また、広徳寺には、作者未詳の高さ一尺七寸の藤左衛門の木像が安置されています。

○ 広徳寺縁起
  この広徳寺の本堂は、巨岩に接しています。そもそも寺の縁起には、延暦二年(783年)、天台宗の開祖伝教大師(最澄)が、延暦寺建立の資材を求めて地方を旅している途中、庚申山頂に光り輝く紫色の雲がたなびくのを見て頂上に登ったところ、丈余の岩の上、稲妻
の発する中に霊姿を感得し、妙法の告知を受けたと言われています。そしてこの地に庚申尊を祀ったのが広徳寺の始まりです。

○ それ以後、この山は日本真鍮の元祖とされ「甲賀八庚申」「山上の庚申」と称して、庚申の縁日には金細工師・金物商が庚申堂の本尊を真鍮の元祖として信仰されているようです。

【考 察】
○ 古代この地域は物部氏の支配地域で、物部氏は軍事部族であると同時に、金属部族でも
あり、延暦2年(783年)広徳寺建立以前、この山は、古代信仰の霊山で巨石が存在する。
 又、現在通称されている、庚申山は延暦二年、広徳寺が建立された以降に被せられた冠名で、庚申山広徳寺と云う。

○ それでは、庚申山以前の名称は、『金成山(きんせいざん)の山麓に住む藤左衛門・・・』と真鍮の誕生伝承にある「金成山」が古代霊山の名称であったと思われる。

○ 地形は金成山の麓を野州川の支流柚川、柚川の支流が流れており、山口・金成山(かんなりやま)の地形と非常に酷似している。

○ 真鍮製造法を開発した百姓・藤左衛門がどのようにして冶金の技術を持っていたのか疑問に思う。

 以上の事を踏まえて、一つの仮説として次の様に云える。
 古代、金属種族が西からこの地に移住し、この山を古代信仰対象として崇め、「カナリ山」と呼称し「金成山」と表記した。「金成山」と表記した文字が後に、「金成山」の文字が音読みで「キンセイザン」と呼ばれるようになった。

 真鍮の製造法を発明した藤左衛門は百姓と称されているが、現代の私たちの感覚で百姓と云うとは農業専従者のように思われるが、当時は現代のように職業が細分化されておらず、一般人の総称と云える。百姓、藤左衛門は金属種族に属する人であり、その技術も習得しており、霊山「金成山・かなりやま」で真鍮製法の啓示を受けた事を伝承として伝えられいる。これらの事を考え併せると「金成山・かなりやま」は金属種族又は、産金・産鉄に由来する霊山と類推出来る。

《金成―かんなり・・人名に由来するもの》

(ⅰ)遠野市綾織町・猿ヶ石川・金成淵(かんなり淵)

     綾織・猿ヶ石川周辺図
画像の説明
※ Google 地図検索 遠野市綾織町・猿ヶ石川・金成淵で表示されず 


地名は人名に由来する

【考 察】
○ 金成淵」は、かって遠野市綾織町内、猿ヶ石川沿いにあった淵。
『上閉伊郡綾織村郷誌・(昭和7年発行)』によると、
「金成政実の敗後其の夫人遥々夫君をたずね来り其の最後のあり様を聞き悲歎止む能はず遂に鎧塚の崖下なる淵に身を投じ夫の後を追いて死す。』とあり、
「金成淵」はこの故実からついた地名だと云われ、綾織の古老によって500余年の長きに渡り語り継がれて来たが、昭和23年(1948年)のアイオン台風の時流失し、現在存在しない。

  遠野市史第一巻 191頁
 俗伝に曰くとして、「此の時政実の男児松千代十三歳、父を慕って陣中に在り。敗奔の時、雑兵のために追討さる。時人これを哀れみ、土葬して墳墓を立つ。其の阿母、哀痛の余り慕い来り遺跡を見、渕に身を抛(な)ぐ。従婦十二人皆身を抛(な)ぐ。此れより以来此の所を金成淵、或は御前渕と言う」云うとある。

 上記の伝承から『金成淵・御前渕』の地名の由来は、人名に由来するもので議論の余地はない。

 尚、消失した淵の位置は、『小生の母親や叔父の話によると、アイオン台風で水害が出る前までは、猿ヶ石川は現在の堤防の南側を流れていたそうで、日影橋の南側袂を流れ、山際を通って現在のゴミ処理場辺りも河原であったとう・・・・』・・・・・・・・・・・・・2009・9・26・「じぇんごたれ」遠野徒然草より借用

《金成―かねなり・・・合成名》

(ⅰ) 島根県雲南市大東町金成

    雲南市大東町金成所在位置図           大東町金成拡大図

画像の説明

画像の説明

※Google 地図検索 島根県雲南市大東町金成で表示 

 地名由来 合成地名
○ 明治8年(1875年)金坂村と成木村が合併して金成村となる。


《類似地名・黄金成―こがねなり・・・由来不詳》

(ⅰ) 宮城県大崎市鳴子温泉尿前黄金成 (旧・鳴子町鳴子黄金成)

画像の説明

画像の説明

※ Google 地図検索  宮城県大崎市鳴子温泉尿前黄金成で表示されず 

地名の由来は不詳

○ 宮城県遺跡地図に、旧・玉造郡鳴子町字尿前、花渕山黄金成銅山跡とある。

≪花渕山黄金成銅山跡≫

位 置  緯度経度 38.739500, 140.686944 旧、玉造郡鳴子町字尿前。 LCc4/ON/PN36058/、県遺跡地図1998.3。<25000分の1地形図>NJ-54-20-8-2。<全国遺跡地図番号>5-32

○ 鳴子町史 上下巻に古来から当地周辺は、金銅などの産出が伝承されている。「県別分類・宮城県、鳴子町鳴子黄金成」の項参照

『考 察』
  由来不詳と直接的伝承はないが、民謡・地名などから考察すると、金・銅の産出に関連する地名で産金に由来するが、黄金成(こがなる)は『黄金・成る』類似地名で、金成地名に含まれるべきではない。

『金成と云う地名・総論』

 全国に「金成」と表記する地名は18ヶ所あり、その読み方は「かなり・きんせい・かねなり・かんなり」と諸々ある。

 「金成」と云う地名は、古代、東出雲地方(現・東出雲町)で金属種族の長を葬った墳墓を「金成・カナリ」山と呼称したのが始まりと推定出来る。現在も金成山古墳と云う呼称が伝承されているのがその証である。

「カナリ」山と呼称した由来は、方言と伝えられカンナスール(意味は、砂鉄採取場・採取する)と砂鉄採取工程の「鉄穴流し・カンナ流し」に必要な大量の水を川に求め、その川を古代朝鮮語で「ナリ」と云う。この二つの組み合わせにより、「カナリ」と云う言葉が生まれた。文字は金・銀・銅など金属の総称である、「金」と「ナリ」に当てた文字は、別の物・状態にかわると意味する、成る(ナル)を当て、『金成』と表記した。その結果、「金」はカ・カン・カネ・キンと読まれる所以である。

 古墳時代発生した「金成」と云う地名は、原料採取場・技術など移動・伝播につれて金属種族が山口・滋賀・茨城・福島・宮城・岩手と移動するにつれ、その地名も移って行った。
 又、「成る」・「生る」同意語で「金成」・「金生」は同じ由来を持つ。

 更に、「カンナリ」と云う地名が複数ある場合は、区別するため文字を変えた。その例は、宮城県白石市ある、「金成・カンナリ」山・「寒成・カンナリ」山、岩手県の岩泉の「金成・カンナリ」、「神成・カンナリ」であると類推出来る。
 
人名、合生名と分かるものを除いて、今は伝承されていなく、地名だけが意味不明のまま呼称されている「金成」と表記する地名は、全て金属に由来する地名と云って間違いない。
 
 ここで、話しは横道にそれるが、長年私の姓である「金成・カンナリ」の「金」が何故、「カン」と読むのか分からなかったが、東出雲地方方言に残る、カンナスールに由来するのであれば、「金」を「カ」・「カン」と読むのも自然である。

2011・8・22更新  

 かんなり地名考2 神成・嘉成・加成編に続く

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