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かんなり地名考2

かんなり地名考
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2011・8・15 移転

2016-09-02 (金) 13:50:25

かんなり地名考 金成編より続く

『金成・神成・嘉成・加成』地名考 神成・嘉成・加成編

《 地 名 由 来 の 考 察 2 神成編》

 「神成」地名の読み方、その由来について考察する。
  現在、全国で確認出来た「神成」と云う文字を使用する地名は18カ所ある。一般的
 な読み方として「かみなり」・「かんなり」と云われている。又、大半は由来が不明で
 語り継がれいない。これらの事を念頭において、「神成」の地名の始まりを探すと、

《神成―かんなり・・・神に由来する》

(ⅰ)群馬県富岡市神成(かんなり)

     富岡市神成所在位置図

富岡市神成所在位置図・クリック拡大

  ※ Google 地図検索 群馬県富岡市神成で表示

  富岡市神成(かんなり)の地名の由来は、

○ 群馬県 甘楽郡史 第16章 吉田村の項に

 「・・・降りて神代に至り、武甕槌命(たけみかづちのみこと)・經津主命(ふつぬしのみ
 こと)二神、諏訪の神を征したまう時、此の邊を通過せしに縁みて、或るは神沼(かみぬ
 ま)(蚊沼(かぬま))といいひ、或は神成(かみなり)という地名起れりと里人の口碑に
 遺れること、容易に打消べきにあらず。・・・・」と語り継がれて来た由来。

『考 察』

  上記の記述の時代背景は、神話の時代国譲りに起因する。

  高天原から地上の国、出雲国を征服しようと三度目に派遣された神々で、大国主命に
 国譲りを迫り、諏訪に逃れ大国主命の子、健御名方神(たけみなかたのかみ)を追って
 討伐したおり、この地を通った時の縁により、此の地名がついたと伝承は語っている。

  南砺市福光町「神成(かみなり)」と同じ様に、富岡市「神成」もその由来は「神御成
 り」に起因するが、ここで大きく異なるのは南砺市福光町神成は大国主命、富岡市神成
 は武甕槌命(たけみかづちのみこと)・經津主命(ふつぬしのみこと)の二神はで、

  特に、武甕槌命の「武・たけ」は武勇を表し、「甕槌・みかづち」は御雷(みかず
 ち)の意で「神鳴(かみな)り」に比せられる猛々しさを表す。更に、「古事記」では
 健御雷之男神(たけみかづちのおかみ)・健御雷神、「日本書紀」では、武甕槌・武甕
 雷男神などと表記される。単に健雷神と書かれ別名・健布都神又、鹿島神宮(茨城
 県鹿島市)に祀られていることから鹿島神とも呼ばれている。

  即ち、富岡市の「神成」は、「神御成り」に由来するが、武甕槌命は多面的な顔を持
 つ神で、武甕槌命=雷(カミナリ)と云う性格を持つ様になつた。

 「神成・カンナリ」=「神」+「来る・御成り」⇒「雷」+「来る・御成り」⇒「神」+
 「鳴り」
      南砺市福光町「神成・カミナリ」=「カミナリ・神鳴り」
      富岡市神成 「神成・カンナリ」=「カンナリ・神鳴り」
  と、「神御成り」⇒「神鳴り」に由来が誤認される所以である。

《神成―かんなり・・・カミナリに由来する》

(ⅰ)秋田県大仙市大神成(おおかんなり)

大仙市大神成・小神成所在位置図

大仙市大神成・小神成所在位置図・クリック拡大

大仙市大神成・小神成所在位置図・クリック拡大

  
※ Google 地図検索秋田県大仙市大神成で表示

○ 角川日本地名大辞典 5 秋田県の地名 大神成(中仙町)の項に、

 「(おがなり)ともいい、大金成とも書く。斉内川の平野部への出口の北岸部に位置し
 東方は内沢山へ続く山林地帯、山麓およぴ西方の斉内川自然堤防上から縄文晩期の遺物
 が出土。

  地名の由来は落雷説に求め、天慶の乱後に当地に落ち延びたという平将門の一族が安
 和元年(968年)内沢山で大雷雨に遭ったという付説まで伝える。・・・・・・・
 ・・(郷土史7)」と記述あり。

○ 秋田県大仙市太田町小神成(こがなり)(大神成村の分村)

○ 菅原神社 鎮座地 秋田県仙北郡中仙町大神成字上村八一
       御祭神 菅原道真朝臣命・健御雷神・宇迦迺御魂神・大山祇神
       由 来「大神成村鎮守について・・・・・・・・当地は真木渓谷の平野部
           出口に位置し、歴史も古く地名の由来も落雷伝説より大神鳴とも
           言われる。近年まで正月に萱葦屋根に笹竹を立て年縄を張りめぐ
           らす習俗が残っていた。又雪中田植等の行事も伝えられて来た地
           区である。」・・・秋田県神社名鑑より

○ 太田町史 地誌 年表編  地誌 小神成村 四 村の地名

 「小神成村・大神成村の分村と思われ、耕地の少ない大神成村から、小神成に開拓が進
 んだとも考えられる。大神成には藤沢、高橋の姓が多く、小神成にもこの姓が多い。
「神成」は「神鳴り」で雷のことをいう。したがって、落雷の多いところであるため地名
 になったのかもしれない。」と記述在り。

○ 太田町郷土史資料 第4集
   第4集 1・44頁 資料 № 707・709 鈴木泰三家文書
   題名 仙北本堂小金成御検地野帳 作者 山崎茂右衛門・甚内 正保4年7月29日(1647年)
   内容 小神成3回検地の内後竿検地帳
   題名 仙北本堂内小金成新開御検地野帳 作者 嘉右衛門 元禄10年2月
       (1697年)
   内容 小神成村新開寛文10年、明暦3年延宝8年代毎地頭別検地帳

○ 地名考 山裾風土記 皆川 昇(著) 発行 昭和50年8月

 『小神成・米沢新田邑の属郷大神成村の分村と思われる。分村はたいてい地続きが多い
 が、斉内川を越えて同族部落をつくったのは珍しい。耕地の少ない大神成から、「小神
 成」に開拓が進んだとも考えられる。「大神成」には藤沢、高橋の両姓が多く「小神成
 」にも多い。「神成」は「神鳴り」雷のことをいう。しかし(神)成はまた柳田國
 男先生の説のごとく、山の中腹の比較的ゆるやかなところで、それを住民が平にナラシ
 テ村づくりをしたようにも思われる。またもとにもどるが神成(り)はカミナリの多
 いところで、従って落雷の多いところであるために地名となったのかもしれない。』と
 記述あり。

○ 出雲風土記・出雲郡健部郷の条に・・・・・東出雲町誌 99頁

 『宇夜(うや)の里と号(なず)くる所以(ゆえ)は、宇夜都弁(うやつべ)の命、その山峯
 に天降(あも)り坐(ま)しき、すなわち彼(そ)の神の社、今に至るまで猶(なお)此処に
 坐(ま)せり』という伝承が記録されている。

  宇夜の山峯は、今の宇夜山で標高100.8m。「天(あ)降(もる」という語は、現にこ
 の地方の方言で、「雷(かみなり)があまる」というに、神が天空から山上に降ると信
 じた古代信仰をうかがわせる。』と、

  ここに、雷=神の記述が見られる。
  神成(かみなり)が後に神成(かんなり)に変わり今に至る。
 
『考 察』

  上記の記述の通り、大神成は地形が雷の発生しやすい所に起因し、その時代的背景は
 平将門の乱。安和元年頃の勢力範囲は上野国・甘楽郡も含まれており、落人となった人
 々には、甘楽郡神成村の記憶があり、
 武甕槌命=雷(かみなり)=かみなり(神鳴り)=かみなり(神成り)=神成(かんな
 り)と、大雨が降り、雷が鳴り、稲妻走り、落人の身にその地が、神が鳴る良き地と
 して「神成(かみなり)」と称しても不思議ではないが、中世の一時期、「金成」と表記したのは何故だろうか。神成⇒金成⇒神成・金成⇒神成と移り変わったのか疑問が残る。

(ⅱ)秋田県横手市大森町十日町神成(かんなり)・大森町袴形字東神成(かんなり)

   秋田県横手市大森町神成・東神成所在位置図

横手市大森町神成・東神成所在位置図・クリック拡大

赤印:神成
黄印:東神成

※ Google 地図検索 秋田県横手市大森町十日町神成・袴形字東神成で表示

○ 大森町郷土史 守屋重太郎著 「郷土史と共に」 98~99頁に

 「昔、村の大柳が落雷よって枯れてしまつた」事から神成村と云う名が起った。と又神
 成村は両村にかかる様になっている入り合い村である。と伝承は伝えている。

≪考 察≫

  大森町十日町神成・大森町袴形字神成の神成と云う地名由来は、伝承されている様に
 落雷による、はっきりとした根拠のある珍しい例である。

(ⅲ)福島県須賀川市仁井田神成(かんなり)

     須賀川市仁井田神成所在位置図               関連地名周辺図

須賀川市仁井田神成所在位置図・クリックん区大

仁井田神成周辺図・クリック拡大

    A:仁井田神成           A:郡山市三穂田町野田神鳴山 B:野田神鳴
                    C:仁井田神成      D:館ヶ岡四十壇
                    E:須賀川市館ヶ岡    F:里ノ浦(鹿島神社)
                             G:鹿島腰

  仁井田村神成の地名由来について

○ 須賀川市史 文化と生活  昭和53年出版 (資料 参考文献 原文抜粋・参照)

  第四章 地名と姓氏 5 小字名の由来

 「・・・・雷・神成は雷神信仰。・・・」と記載あり。・・・・283頁

○ 村の地名考 須賀川市の旧三十五ヶ村 高久田大一郎 昭和六十年出版

 「・・・字神成は(カミナリ)で雷神さまのこと。この神社は仁井田神社の境内に祀つ
 られている。・・・」と記載あり。・・・・61頁
  神成の地名の由来は上記の文献により、雷神信仰にもとずく地名と云う。

『考 察』
 仁井田村字神成の地名由来は、口伝などの伝承は存在していなかった。。これが原点である。須賀川市史の編纂にあたり、神成の地名の由来を鏡味完二著「日本の地名」に求めたと類推する。即ち、「カンナリ カンダチ。神鳴り>カンナリ。〔神成・金成(神奈良・神有・鳴神)〕から、神成の由来をカミナリとし、地域内にある雷神信仰と結び付けたようだ。

 果して、そうなのか?
 雷=神成に疑問がある。
 雷神信仰は、相馬藩が雨乞い、農耕の神として各郷に雷神社を奉祀したとする古事、又、村には様々な宗教講があつた。。雷神社の講や葉山講のほか、伊瀬講、出羽三山講、古峯講、庚申講、二十三夜講、弁天講、山の神講などが盛んに行われ、雷、庚申、二十三夜、弁天等と地名に名残をのこしているが、全て、講の文字であることから考えても、神成の地名はこれらの信仰の関連より古い時代に属する地名のように思われる。

 地図を見ると、隣接地に、神鳴・神鳴山(カミナリヤマ)と神成(カンナリ)間で現代は行政区分線が引かれているが、古代この地域は一帯ではなかったろうか?

 それは「カミナリ」呼ばれていた。
 四十壇から神成にかけて丘の壁に多数の横穴墳墓が残されている。この墳墓は『神成横穴古墳』と呼ばれている。何故、「神成・横穴古墳」と呼称されているか、場所から云うと、「四十壇横穴古墳」と云われても良いのではないかと思うが、より「神成」の地名が古くから存在するからではないかと思う。

 更に、この地域を見ると、鹿島神社を祀る古代金属種族が勢力を伸ばしていた。
 信仰に由来する地名である講などは、その地名は生活に密着しており、霊地、霊山は信仰の対象があるが、「神成」の地にはこれらがみあたらない。等々考えると、「神成」の地名由来は雷神信仰以前のものであると云える。

 さて、それでは「神成」地名の由来はと、色々云えるが、今は不明であろう。
    

《神成―かんなり・・・由来不詳》

(ⅰ) 岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉神成

岩泉神成所在位置図・クリック拡大

A:岩泉神成

 
  岩泉町岩泉神成の地名由来は、由来不詳

『考 察』

  前述した岩泉地方史などを参考に考察する。

  神成・カンナリ―カンナリ・カンダチ=カミナリと云われるが、地形図によると音床
 山、山頂部に近い標高580m域にある。何故、この様な場所に地名が付けられたの
 か?

  現地を確認していないから文献、地形図だけでは、人が住んでいるのか、建物等、建
 築物があるのか不明で即断はできないが、山の中に雷が落雷したからと云ってその場所
 に地名を付ける必要性があるのだろうか?

  普通は無い。

  人は何故、有る特定の場所に名を付けるのか?

  考えられるのは、集団が、その特定の場所に呼び名をつけ、呼称を伝える事により集
 団の人を移動させる手段として使う場合である。その様に考えた場合、人が住んでいる
 場所に落雷し、恐れ戦き強く人の記憶に残った場合は地名として附くであろうが、山の
 中の落雷地に中々付けないものと思う。

  では、神成と云う地名は、そのヒントは久慈大川目の神成に見る事が出来る。
  同じ様に久慈大川目の神成も由来不詳であるが、久慈市史によれば、金・銀鉱脈上に
 神成の地名がある。岩泉町神成もこの地域に多数存在した金・銀・鉄・銅・等の鉱山
 に係わる地名で、その場所が人の住まぬ山の中であっても不思議ではない。
  この様に考えれば、岩泉町神成の神成の地名由来は金偏に係わる地名と考察出来る。
  ・・・・(久慈市大川目神成項参照)

(ⅱ) 岩手県久慈市大川目神成

岩手県久慈市大川目神成所在位置図

岩手県久慈市大川目神成所在位置図・クリック拡大

  ※ Google マップ地図検索出来ず。
※ Yahoo 地図検索 岩手県久慈市大川目で表示「田子内川上流に神成
            にある。」
  久慈市大川目神成の地名由来は、

  由来不詳であるが、大川目「神成」の地名の由来についての、ささやかな手掛かり
 が、久慈市史・第一巻・通史・第二章・二鉱山の大略に残されている。

 (一)金・銀鉱脈の鉱山の項に

 『大川目の神成・岩井、山根の高根・深田・葛形・浅子沢などであるが、鉱量、品位と
 もにさほど優れたものではなく、時代の動向によって稼行したり休山したが、現在は全
 く掘られていない。』と記述されている。

『考 察』

  久慈市史の記述から見ると、大川目「神成」は、紛れもなく金・銀鉱脈上に位置す
 る事がわかり、岩手県では「カンナリ」と云う地名は産金に係わるものがおい事から考
 えると、大川目の「神成」も産金に由来すると云えよう。ここで、一つの疑問が生じ
 る。それは、「カンナリ」の「カン」の字が「金・カン」でなく「神・カン」を使用し
 ている事です。

  一般的に「神成・カミナリ・カンナリ」は「神」又は「雷」に起因する地名が多い中
 で大川目の「神成」は、金偏に由来する。

  その根拠は何か?

1) 金・銀鉱脈上にある。
2) 雷神伝承がない。
3) 栗原郡金成邑の地名の変遷がこの地にも伝わり、「神成・カンナリ」と称したと類
 推出来る。これらの事から総合的に推察すると、大川目の「神成・カンナリ」は産金
 伝承に由来すると云える。(栗原郡金成町の項参照)

(ⅲ)上閉伊郡宮守村上宮守字神成 (遠野市宮守町上宮守) 

  上宮守字神成は所在未確認・由来不詳 

『考 察』

  不思議な村名である。享和三年(1803年)の仮名付帳によると家数130、宮守町
 29、枝村の平通37、楡木18、西萩8、神田9、脇ノ田29と、更に「邦内郷村
 誌」にはこのほか「神成」が載る・・・伝々と、員数に入らない、村として存在し
 ている。

  それとも、枝村の更に枝村なのかは、不明である。それだけ、この「神成」の存在
 が薄く現在、継承されていなのか、はつきりしないが、現地に所在確認しても確認出
 来なかった。
  又、出張地区に神成館跡がある。
  更に、此の地区は東和町に隣接した地域で、金成山にも近く、その地名と係わりの
 ある地名なのかと思う。

(ⅳ) 秋田県仙北郡田沢湖町岡崎 院内(神成沢)

画像の説明

   田沢湖町岡崎神成沢の由来は不詳

『考 察』

 田沢湖と云う名称は、明治時代に入ってから定着したと考えられる。それまでの資料では、田沢村の潟と云う意味、アイヌ語で「盛り上がった円頂の丘」を意味するタプコプが変化した説などが考えられている。

 いわゆる「辰子姫」も以前は「鶴子」などとされており名称には変遷があったと考えられる。それらの変遷や由来は明らかではないが、「鶴子」は熊野神社信仰の関係性、今日広く知られている「辰子」は、田沢湖の古名である辰子潟から転じたとする説がある。

  辰子姫伝説・・・・語り部:佐藤忠冶氏

 『田沢湖町院内の神成沢と云う所に住む安倍三乃丞の娘に生まれた辰子は、絶世の美女であった。
 若く美しい今の自分のまま、永遠の命を授かりたいと祈念して、院内嶽の麓の大蔵山観音に百 日の願をかけた。

 満願の日「泉の水を探せ」と神意がくだった。
 そんなある日、友達と山菜を採りに山中に分け入った辰子は、激しい喉の渇きを覚え、一人岩間の湧き水を求めてさまよった。

 岩清水を見つけた彼女は、喉の渇きに身悶えしながらその水を飲んだ。
 不思議なことに飲んでも飲んでも喉はいやされない。ふと水面に写った自分の姿は、もはや人間でなく、恐ろしい竜に変わっていた。

 雷鳴と激しい雨で背後の山は二っに裂け、押し流された山水は湖となって広がっていた。
 竜になった彼女は目まえの湖に静かに入って行った。』・抜粋

 
 神成沢村は、古くは院内村の支郷で、近郊地名に、神代村、石神等の地名があり「神御成り」に由来すると思われるが、如何なる神の御成りか不明である。

(ⅴ) 秋田県北秋田市阿仁前田神成

北秋田市鬼前田神成所在位置図

阿仁前田神成所在位置図・クリック拡大

※ Google 地図検索 秋田県北秋田市阿仁前田神成で表示

 阿仁前田神成の地名は由来不詳

  阿仁前田の「神成」は、日本歴史地名大系・秋田県の地名に「前田村の項、享保15
 年(1730年)の六郡郡
 邑記では戸数四十一軒、枝郷として下前田・滝野上・神成・滝野沢の四ヶ村がみえる。
 神成村は延宝三年(1675年)の開地と記載あり。

『考 察』

  日本歴史地名大系・秋田県の地名の記述から見える事は、「神成村」の地名は延宝三
 年(1675年)の開地と、新しく開拓されたのに伴って付けられた地名と云う事がわか
 る。それでは何故、この地名が付けられたのか?

  この地域の時代的背景を通して推察すると、米内沢城主嘉成氏一族が阿仁川、小阿仁
 川流域を支配していたが、慶長七年(1602年)安東実季の常陸に転封にともない、嘉成
 氏一族の多くの者が帰農し神成姓を称したと伝えられいる。
  この様な事から考えられるのは、帰農した神成姓を称する人々が新地を開拓し、その
 地を神成と呼称し定着したものと推察される。
  よって、この地は人名に由来する云える。

(Ⅴ)福島県双葉郡浪江町大字井手字神成

  浪江町大字井手字神成の地名は存在しない。

『考 察』
 
  浪江町史等文献に、この地名「神成」を調べ出すことが出来なかった為、地元に問い
 合わせ、その回答を現地より頂いた。

1)該当する「神成」の地名は当町に存在しない。
2)類似する地名で、「神鳴・かんなり」と云う地名があり、この地名は、地元の人々が
 「渕や山の名前を、そのあたりと指す呼称として使われている。
3)現在、「神鳴」は井出地区の入北沢国有林の一部となっている。
4)由来不詳・産金伝承・雷神伝承なし。

  浪江町大字井手字神成の地名は出典が不明で、誤認だはないかと思われる。

(ⅶ) 愛知県新城市吉川神成

新城市吉川神成所在位置図・クリック拡大

新城市吉川神成所在位置図

Google 地図検索 愛知県新城市吉川神成で表示  

旧吉川村神成は由来不詳

≪考 察≫ 
 神成の地名は古くから伝えられている様だが、その由来について伝承も、文献などは残されていない。その地形は200m級の山に囲まれた狭間手で人家なとは無い場所です。

 この地形から想像するには、「神御成村」に由来するとは考え難く、「カンナリ」と云う呼称に注目すると、「カンナリ」と呼称する多くの地形と非常に似ていると云う事実。

 同じ県下、海に近い野田村神成は「カミナリ」と呼称している事から、表記される文字よりも音に意味があるものと考えられるが、手掛かりは少なく、更なる検討が必要と思う。

(ⅷ) 新潟県刈羽郡刈羽村 神成川

神成川所在位置図

神成川 鯖石川水系 二級河川 延長4㎞
 神成川の所在位置は、河川大事典に「上流端は刈羽郡刈羽村高町の北向、新屋敷の二本木。別山川に合流する。」この記述から赤線の川を示した。(出典:河川大事典)  
神成川の由来は不詳

《神成―かみなり・・・神に由来する》

(ⅰ)富山県南砺市神成(かみなり)(旧礪波郡福光町神成)

旧・富山県礪波郡福光町神成の所在位置図:クリック拡大

富山県南砺市神成の所在位置図

  ※ Google 地図検索 富山県南砺市神成で表示。 
○ 福光町史・上巻 475頁 
  村々の起源(10) 神成村の項に次の様な記述がある。

 『村名の由来は、古くからの伝承として、古事記載る、古志国と出雲国との抗争の
 後、次第に出雲族の勢力がこの地方にものび、大国主命が今の神成の地に進駐された
 ところから「神御成村(かみおなりむら)」と唱えた。略して神成村となったとあ
 る。』

『考 察』

  時代背景は、大国主命の出雲と古志国に争う神話時代まで遡る地名である。

 大国主命=神が、この地に「御成り」になった事に起因して「神が御成りになった村」
 即ち、「神御成村」から略して「神成村」となると。読み方は「かみなり村」と云う
 が、俗称「かんなり村」とも云う。
  又、日本歴史地名大系 16 富山県の地名「西礪波郡福光町の項に神成村(かんな
 り村と、記述され、「かみなり」と「かんなり」とが現在併用されている。

 「神御成村」⇒「神成村・かみなり村」⇒「神成村・かんなり村」と変遷している。
  よって、この「神成村」の由来は、神話時代の「神」に由来する地名で「神成村」地
 名の始まりと云える。

《神成―かみなり・・・由来不詳》

(ⅰ) 福島県相馬郡飯館村二枚橋字神成

  二枚橋字神成の地名所在未確認・由来不詳

  現地に問い合わせても神成の地名所在は確認できず、その出典が疑問に思う。  

(ⅱ)福島県いわき市小名浜字神成塚(かみなりづか)

いわき市小名浜神成塚所在位置図・クリック拡大

いわき市小名浜神成塚所在位置図

※ Google 地図検索 福島県いわき市小名浜字神成塚で表示。 
※ yahoo 地図検索 福島県いわき市小名浜字神成塚で表示

     小名浜字神成塚の地名由来不詳

『考 察』
 小名浜地方には、「カンナリ」と云う地名が存在、その表記は「金成」を当てている。「神成」と云う表記の読みは、「カンナリ」と読んでも不思議でないのに、何故「カミナリ」と読むか。この地名由来のキーワードは「カミナリ」その物にあると思う。
 古代、この地方に遠征軍が訪れ、戦で戦死した将か兵士を葬った塚を、地元の人々が遠征に由来する神が訪れた意をこめて、「カミオナリズカ・神御成塚」を「カミナリヅカ・神成塚」と唱え、伝えて来たかが、その由来は忘れされ、地名のみが残ったと推察する。

(ⅲ)静岡県富士宮市北山神成(かみなり)

富士宮市北村神成所在位置図・クリック拡大

富士宮市北村神成所在位置図

※ Google 地図検索静岡県富士宮市村山344−3 富士宮市消防本部消防団で表示 
※ yahoo 地図検索 静岡県富士宮市北山で表示。(158号線沿い・JA富士宮・神成など)    

   北山神成の地名由来不詳

『考 察』

  神成の地は、富士山南西麓に位置し、古くから浅間山神社領とされる土地である。
  中世には、神鳴・雷とも記されており、地形から見て、神=雷=自然を恐れ慄き=崇
 拝などが、この地名の由来と類推出来る。


(ⅳ) 愛知県田原市野田町神成

田原市野田町神成所在位置図・クリック拡大

愛知県田原市野田町神成所在位置図

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※ yahoo 地図検索 愛知県田原市野田町神成で表示

  旧野田村神成の地名は由来不詳

≪考 察≫

  旧野田村神成は古い地名で、その由来の伝承はない。
  新城市吉川神成の項参照

(ⅴ) 徳島県南二軒屋町神成(かみなり)

徳島県南二軒屋町神成所在位置図・クリック拡大

徳島市南二軒屋町神成所在位置図

※ Google 地図検索 徳島県徳島市南二軒屋町神成で表示
※ yahoo 地図検索 徳島県徳島市南二軒屋町神成で表示。

  南二軒屋神成の地名由来不詳

≪考 察≫

  

   

《神成―しんせい・・・由来不詳》

(ⅰ) 三重県桑名市神成町(しんせいちょう)

桑名市神成町所在位置図・クリック拡大

桑名市神成町所在位置図

※ Google 地図検索 三重県桑名市神成で表示
※ yahoo 地図検索 三重県桑名市神成で表示。

   桑名市神成の地名由来不詳

『考 察』

 「神成町・しんせいちょう」は尾野神社の門前に位置し、尾野神社の創建は古く、崇神
 天皇28年9月と伝えられる。尾野神社と係わりのある地名。門前町に位置する地名と
 推察できる。

《類似地名》

(ⅰ)高知県高岡郡葉山町長者石神成(現・高知県高岡郡津野町永野石神成・いしがみなろ)

津野町永野石神成所在位置図・クリック拡大

津野町永野石神成所在位置図

※ Google 地図検索 高知県高岡郡津野町永野石神成で表示 
※ yahoo 地図検索 高知県高岡郡津野町永野石神成で表示
  
石神成の地名由来不詳

『考 察』
  古文書によると、石神ノナロの地と記載されている。
  ナロの地名の由来は、柳田國男・倉田一郎、共著・分類山村彙 によると、「山の峰のような高い土地と云い、又、は土地高くし て傾斜したる処、休んだり、働いたりする都合のよい場所・・・・・参考文献、分類山村彙・参照
  即ち、「石神ノナロ」は石神と云う地名のナロの処で、「石神 ノナロ」の「ナロ」が⇒「成」に変化し「石神成」になったと類 推する。
  依って、神成に分類するのは誤りであ。


『神成と云う地名・総論』

   全国に「神成」と書く地名が18ヶ所あり、その読み方は「かみなり」・「かんなり」・「しんせい」と異なるが、その由来は「神」に由来する。但し、一部例外もある。
  「神成」の地名の発祥は、旧・西礪波郡福光町「神成」の地に神話の時代、大国主の命がこの地に進駐し、神御成り村と称したと伝承は伝えている。
   読み方は古代から「かみなり」と云うが、現在、「かんなり」とも云われ、
 「かみなり」⇒「かんなり」と変化している。
   又、群馬県富岡市「神成」の地名の由来は、神代の国譲りの時「甕槌命・經津主命二神、諏訪の神を征したもう時、此の邊を通過せしに縁みて、或は神沼(蚊沼)とひい、或は神成という地名起れり」と伝えている。
   この二例が示す様に「かみなり」・「かんなり」共に神御成りに由来し、地名の起りと云える。
   又、秋田県の横手市・神成、大仙市の大神成・小神成、福島県の須賀川市・神成等は、雷に由来すると伝承は伝えているが、雷は自然信仰の人知を越えた戦く崇める神、雷神を神鳴りと云い、神鳴り=神成と変化し同一化されたのが、秋田・福島の「神成」の傾向である。静岡の神成は神鳴りに由来しいるのが文字の変遷からわかる。更に、西の「神成」の地名は「かんなり」・「かみなり」・「しんせい」共に由来不詳と忘れられているが、これら地名の由来は神御成り・神社に由来する門前町等と類推できる。
   例外的、由来として、秋田の阿仁前田・神成は人名に由来し、岩手の大川目の神成、岩泉の神成等は、産金由来の「金成・かんなり」=「かんなり・神成」と混同している地名と考えられ、産金に由来すると推察する。まだ不明な点もあるが、神成の地名の本質的由来は、
  神御成りに由来し変化したもの推察する。

《 地 名 由 来 の 考 察 3 嘉成編》

C・「嘉成」の県別分布

    その分布は 福島県 1、
   「嘉成」の読み・由来
1・「かんなり」の由来別・分布
    人名に由来するもの     福島県 1

(ⅰ)郡山市田村町細田嘉成(かんなり)

  ※ Google マップ地図検索―福島県郡山市田村町細田嘉成で表示。
  ※ yahoo 地名検索-福島県郡山市田村町細田嘉成で表示。

  細田嘉成の地名は人名に由来する

『考 察』

  元亀・天正年間(1440年)前頃、

  『神成与右衛門事少々給地比(被?)下帯刀御免ナリ、力丸先祖ハ谷田川箱屋ヨリ来
 リ、家間家惣領筋ハ弥惣次ト云ウ』明治期の当主書き写した古文書あり。

  現代訳は『神成与右衛門は土地を与えられ、帯刀を許された。力丸の先祖は谷田川箱
 屋より来た。神成の一族の惣領は弥惣次と言う。』神成氏が帰農した事により称された
 地名と言える。

  それでは、何故、神成氏が帰農した時に、嘉成と地名を口称したのか?

  又、神成氏が力丸と称し、氏神として祀ったのは、
  神成神社・祭神は、金山毘古命(カナヤマヒコノミコト)と申して、鉱山の神である。
  
  関連する古文書によると秋田・米内沢城主嘉成常陸介資清(康清)・「戦国時代当
 主」は檜山安東氏の支配下にはいり安東軍の「比内侵攻(永禄5年・1562年)」・
 「鹿角侵攻(永禄8年・1565年)に参陣したと記録されている。嘉成氏は加成・賀成
 とも称し、安東氏常陸転封とき、帰農した嘉成氏の孫は神成姓を称した例もある。

  即ち、此の地来た、「神成氏」は「嘉成氏」とも称していたのではないだろうか?
  氏神様などから神成氏の出仕の片鱗が見え、地名由来の一端が解明されるであろう。

《 地 名 由 来 の 考 察 4 加成編》

(ⅰ) 山形県天童市加成(かなり)

   天童市加成の地名は存在未確認

≪考 察≫

  仙台叢書・伊達世臣家譜 第一巻之十五 平士之部 金成項に、
 「・・先最上家臣、而佳、天童加成邑、因氏為・・・」とあるが、地元の協力を得て調
 べたが過去、現在、加成の地名は存在しなかった。
 仙台叢書・金成氏の記述に誤りがあるよう思う。

かんなり地名考3 県別分類に続く

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