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ユーカラ語り部・金成氏の系図

かんなり姓の由来
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2011・8・23改

≪幌別ユーカラ・語り部・金成系譜≫ 

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夭折した天才少女・アイヌ神謡集を編纂した知里幸恵記念館完成

北海道・金成姓の由来
 北海道の金成姓は、明治3年(1870年)「苗字許可令」・同5年戸籍法(壬申戸籍)に基づき実施され、幌別アイヌの巨酋カンナリキが、カンナリキの父は和人であったから、カンナ(再)アリキ(来)とつけたのがもとの名で、苗字をつける世になって、カンナリキを金成喜蔵と名乗り、それで一門が金成姓を称するようになったのが、北海道の金成姓の始まりである。・・・アイヌ叙情詩・ユーカラ集1・ 5頁参照
 「カンナリキ」はアイヌ語で『神の再来(カンナアリキ)』を意味する。

金成喜蔵  

       父親が和人で、アイヌ名をカンナリキと云う。幌別(現・登別)の酋長
       妻:ネンパクの娘・レルラ
       明治3年7月7日の地元、北門新報に人物伝を下記の様に評している。
      「金成喜蔵は七十有余にて性質正直にて和人、同族両者の間に勢力があり、
       徳望極めて高く金成の言と言へば首を傾けぬ者なしとか、アイヌに稀な
       る財産家にして数多くの雇人さえ使役し漁獲、耕作等に従事し其の住家
       如き、同村の和人家に比するも上等の部に入るべき程にて、耶蘇教を信
       じ煙草一服、酒一滴も飲まず・・・・」と、

       又、金田一京助は金成喜蔵 の印象を『アイヌ叙事詩 ユーカラ集 
       1』・Ⅱ筆録者金成まつ女史の項に、
      『・・・・・明治三十九年夏に、私が初めて逢った時は、七十歳程に見える
       白髯白髪の立派な老翁だった。礼儀正しい酋長振りで、酒食を饗しても箸
       をも執らず、一口も飲まず、キチンとすわって、私の一語一語に答えてく
       れるのに、すっかり私感服したものだった。こういう翁を、その後何十
       年、終にまだ一人も見たことがない。・・・・・』と

金成太郎  

      喜蔵の子 慶応3年(1867年)生まれ~明治30年(1897年)死亡説
      注 肺結核のため明治28年11月9日、25歳の若さで死亡したと、言う
      説もある。
     「戊辰戦争で敗れた仙台藩片倉小十郎家臣団が現・登別市幌別に入植し、地元
      アイヌの人達の支援を 受けて開拓を続けました。
      家の繁栄は教育にあると言うことで設立された寺子屋に、家臣団の子供はも
      ちろん、アイヌの子供達も一緒に学ぶ機会がありました。
      この中にアイヌ人として初めて師範学校を出て教員免除を取得した金成太郎
      がいた。」と伝えられている。
     「伏 流 金成太郎伝」 富樫利一 著書  彩流社  2004・4

金成恵理雄 

      (ハウェリリ) ネンパクの息子・レルラの弟、喜蔵の義弟

金成茂奈之 

      (モナシノウク・ユーカラの伝承者)恵理雄の妻、

金成マツ  

      (イメカヌ)恵理雄の子 明治8年(1875年)11月10日~昭和36年
      (1961年)4月6日
      正しい和名は、金成广知(まち) 幌別ユーカラの伝承者
      金田一京助のユーカラの筆録者
      昭和31年(1956年)無形文化財保持者に指定され紫綬褒章を受章。

金成ナミ 

      (ノカアンテ)恵理雄の子 明治12年(1879年)~昭和39年(1956年)
      5月30日
      幌別ユーカラ・アイヌ文化の伝承者
      明治35年(1902年)4月・知里高吉と結婚。一女二男、幸恵・高央・真
      志保の子をもうける。
      昭和37年 紫綬褒章を受章。

知里波エ登 

      (チリパ・ハエプト)
      明治37年(1904年)熊狩りの仕掛矢(アマッポ)に誤って当たり死
      亡。

知里高吉  

      明治17年(1884年)4月15日~
      北海道登別村で父・波エ登と加之の息子として生まれる。
      明治35年(1903年)4月、金成ナミと結婚する。一女二男、幸恵・高央・
      真志保の子をもうける。
      明治37年~明治38年 日露戦争に従軍・旅順攻囲軍、金嗣勲章を受章
      する。

知里幸恵  

      明治36年6月8日・北海道幌別郡登別村で高吉・ナミの長女とし生まれ
      る。
      大正11年(1922年)9月18日・東京・金田一京助宅で客死・行年19
      歳。
       伯母・金成マツと祖母・モナシノウクのもと旭川で育つ。
       大正8年夏(1918年)金田一京助・金成マツ宅を訪問、金田一京助の薦め
       で『アイヌ神謡集』を出筆。

知里高央  

      明治40年(1907年)北海道幌別郡登別村で高吉・ナミの長男とし生まれ
      る。
      昭和40年(1965年)没・たかお・(たかなか)とも云う。
      現・小樽商科大学卒業  昭和期の教育者
      「アイヌ語彙記録」・横山孝雄共著「アイヌ語イラスト辞典」等の著作あ
      る。

知里真志保 

      明治42年(1909年)北海道幌別郡登別村で高吉・ナミの二男とし生まれ
      る。
      昭和36年(1961年)没 ましほ
      東京大学卒  昭和33年(1962年)北海道大学教授 アイヌ語学者
      真志保の葬儀で金田一京助の告別歌
      『おほし立てて 我が後継ぎと たのめりし
       若人はかなく 我に先立つ
       若人の先立つ歎き できるなら
       老いたる我の 代わりたかりし』

                           2010・9・6金成民雄作成

かんなり姓の由来

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